タイトル:『俺たち、異性だけど最高のダチだよな? ~なお周囲からは夫婦扱いされている模様~』
放課後の生ぬるい風が頬を撫でる、高校一年の春。
俺、相沢悠太(あいざわゆうた)は、駅前にある薄暗いゲームセンターの奥で、格闘ゲームの筐体と睨み合っていた。
画面の中で繰り広げられるのは、硬派な打撃と華麗なコンボが飛び交う『ブレイブ・ファイターズ』。俺の持ちキャラである重量級のパワーファイターが、CPUの敵を次々と粉砕していく。
「よし、今日も調子いいな。このままノーコンティニューでクリアして……」
独り言を呟きながらレバーを操作していたその時。
ピロンッ! という軽快な電子音と共に、画面のど真ん中に『HERE COMES A NEW CHALLENGER!!』の派手な文字が割り込んできた。
乱入対戦だ。
対面の席に誰かが座った気配がする。俺は軽く首を鳴らし、レバーを握り直した。
「誰だか知らないが、俺の連勝記録の養分になってもらうぜ……って、は?」
画面に表示された対戦相手のキャラクターを見て、俺は思わず目を疑った。
選ばれていたのは、スピード特化だが極端に防御力が低く、操作がめちゃくちゃ難しいことで有名なトリッキーキャラ『ニンジャ・アサシン』。よほどの変態プレイヤーか、初心者か。
試合開始の合図と共に、相手のニンジャが画面の端から端まで狂ったような速度で飛び跳ねてきた。
「ちょっ、おまっ、速っ!?」
「ふははは! 見えるか、この残像が! 貴様の鈍重な攻撃など、当たらなければどうということはない!」
対面の筐体から、妙にテンションの高い声が聞こえてきた。しかも、明らかに女の声だ。
女? こんな薄暗いゲーセンの隅っこで、しかもこんなマニアックな格闘ゲームで?
驚いている暇もなく、相手の猛攻が始まる。上段、下段、めくり攻撃。息もつかせぬラッシュに、俺のパワーファイターはあっという間に体力を削られていく。
「くそっ、舐めんな! こっちだって伊達に毎日百円玉を溶かしてねえんだよ!」
俺は反撃の隙を窺い、渾身の昇竜拳……もとい、対空必殺技を放った。ドゴォォン! という重低音と共に、見事に相手のニンジャを空中で捉える。
「ああっ!? 私の華麗な空中コンボが!」
「甘いんだよ! そこから俺のターンだ!」
そこからは一進一退の攻防だった。俺の重い一撃が決まれば、相手も素早い連撃で返し、体力ゲージは互いにミリ単位まで削り合っていく。
そして最終ラウンドの残り一秒。俺が放った投げ技と、相手が放った必殺技が交錯し――ダブルK.O.。
画面に『DRAW』の文字が虚しく点滅した。
「……ま、マジか」
「……うっそだろ」
対面から聞こえた声と、俺の声がハモる。
たまらず立ち上がり、対面の席を覗き込んだ。そこには、肩で息をしながら画面を睨みつけている女子がいた。
肩までのショートボブに、少し吊り上がった気の強そうな目。学校の制服を着崩し、首からはヘッドホンを下げている。
「お前……女だったのか」
「は? 女が格ゲーやっちゃ悪いのかよ。ていうかお前、あの状況から対空合わせるとか変態かよ! 私の完璧な起き攻めだったのに!」
「そっちこそ、あのトリッキーキャラをあそこまで使いこなすとかどんだけゲーセン通い詰めてんだよ! 尊敬するわ!」
俺の言葉に、彼女――夏目栞(なつめしおり)は目を丸くした。そして、ふっと口角を上げてニヤリと笑う。
「お前、見かけによらず結構やるじゃん。私は夏目栞。お前は?」
「俺は相沢悠太。いやー、久々に熱い対戦だったわ。お前のその攻めっ気、最高にいいな」
「悠太か。お前のそのどっしり構えたプレイスタイルも悪くない。気に入った。今日からお前は私のライバルにして、親友だ!」
「展開早すぎだろ! でもまあ、いいぜ。受けて立ってやるよ、親友!」
ガシッ、と俺たちは筐体越しに固い握手を交わした。
まるで少年漫画のライバル同士が絆を深めるような、熱い友情の始まり。男同士のノリに何の違和感もなく溶け込んでくる栞のカラッとした性格に、俺は一瞬で好感を抱いた。
「よし親友! 記念にジュース奢れ!」
「なんで俺が奢る流れになってんだよ! 引き分けだったろ!」
「細かいことは気にするな。コーラな!」
文句を言いながらも、俺は財布から小銭を取り出して自販機に向かった。
そして翌日。俺たちは学校の教室で、隣の席同士として再会することになる。
「お前、同じ高校の同じクラスだったのかよ!?」
「うわっ、昨日の格ゲーバカ! 奇遇だな!」
運命の出会い、なんてロマンチックなものはそこにはない。あったのは、ただひたすらにテンポの良いツッコミとボケの応酬だけだった。
これが、俺と栞の「最高の親友関係」の始まりだった。
高校二年の秋。俺と栞が出会ってから一年半が経過した。
俺たちの関係は、クラスでも公認の「漫才コンビ」として定着していた。毎日一緒に登校し、昼休みには机をくっつけて弁当を食い、放課後はゲーセンやファミレスに入り浸る。
側から見れば完全に付き合っている男女のそれなのだが、俺たち本人にその自覚は全くない。なにせ、ノリが完全に「男友達」なのだ。
今日の放課後も、俺たちは駅前のファミレスのボックス席に向かい合って座っていた。
テーブルの上には、山盛りのフライドポテトと、ドリンクバーのグラスが二つ。
「おい、お前それ俺の唐揚げじゃねえか!」
俺は声を荒らげ、栞がフォークで突き刺している黄金色の物体を指差した。それは、俺が頼んだ和風弁当セットに入っていた、最後の一つであり一番楽しみにしていた唐揚げだ。
「は? テーブルの上に置かれている以上、これは人類の共有財産だろ」
「どんなジャイアニズムだよ! お前のものは俺のもの、俺のものは俺のものってか! 百歩譲って共有財産だとしても、なんで勝手にレモンかけてんだよ!」
「レモンは唐揚げのポテンシャルを最大限に引き出す魔法のアイテムだ。感謝しろ」
「俺はプレーン派なんだよ! 唐揚げそのものの味を楽しみたい派なんだよ! このレモン野郎!」
「誰がレモン野郎だ! 私はれっきとした可憐な乙女だろうが!」
「可憐な乙女は他人の弁当から隙を見て唐揚げを強奪しねえんだよ!」
俺がツッコむと、栞は「ちぇっ」と舌打ちをしながら唐揚げを俺の皿に戻した。しかし、すでにレモン汁でヒタヒタになっている。
「ほらよ、返してやったぞ。感謝の言葉は?」
「レモンまみれじゃねえか! お前な、こういうのは事前に『レモンかけてもいい?』って聞くのがマナーだろ!」
「うるさいな。じゃあ次からお前が唐揚げを頼む時は、私がレモンをかける前に食べるスピードを上げろ」
「なんで俺がお前に合わせる前提なんだよ!」
そんな言い合いをしていると、たまたま同じファミレスに来ていたクラスメイトの男子、佐藤が通りかかった。
「お前ら、相変わらず仲良いなー。夫婦漫才かよ」
佐藤がニヤニヤしながら冷やかしてくる。俺と栞は顔を見合わせ、ピタリと息を合わせて言い放った。
「「いや、親友だから!」」
見事なハモり具合に、佐藤は呆れたように肩をすくめた。
「お前ら、それマジで言ってる? 毎日一緒にいて、休日もゲーセンで遊んで、今も一つのポテトをつついている男女が親友? 詐欺だろそれ」
「詐欺じゃねえよ。俺たちは魂のレベルで共鳴している最高のダチなんだよ。な、栞?」
「おうよ。悠太のツッコミがないと私のボケが死ぬからな。私たちは運命共同体だ」
「お前、俺をなんだと思ってるんだ……」
佐藤は「はいはい、ごちそうさま」と手をひらひらさせて去っていった。
俺は残されたレモン風味の唐揚げを口に放り込みながら、ため息をつく。
「なんで周りの奴らは、男女が仲良くしてるとすぐ『付き合ってる』って思考になるんだろうな。視野が狭いぜ」
「全くだ。男女の友情は成立するってことを、私たちが体現してやってるのにな」
「そうそう。お前なんか、俺から見たらただの口の悪いゲーマー仲間だし」
「あ? 喧嘩売ってんのか? 私は学年でもトップクラスの美少女だぞ。もっとチヤホヤしろ」
「自分で言うな。美少女がポテトを三本まとめて口に突っ込むな」
栞はリスのように頬を膨らませながら、コーラでポテトを流し込んだ。その姿は確かに顔の作りだけ見れば整っているのだが、中身が完全にオッサン寄りなので、どうにも恋愛対象としては見られない。
……見られない、はずなのだ。
「あー、食った食った。悠太、お会計よろしく」
「なんで俺が払う流れになってんだよ! きっちり割り勘だ!」
「ちっ、ケチな男はモテないぞ?」
「お前にモテなくても生きていけるわ!」
言い合いをしながらレジへ向かう。店を出ると、外はすっかり夕焼けに染まっていた。
オレンジ色の光が、栞の横顔を照らしている。普段は騒がしい彼女も、黙って歩いていると不思議と大人びて見える瞬間がある。
「……なんだよ、人の顔ジロジロ見て」
「いや、お前も黙ってればそこそこ見れる顔してんなって思って」
「はっ! 今更私の魅力に気づいたか! 遅いぞ悠太!」
「前言撤回。やっぱり口を開くと残念だわ」
俺たちはゲラゲラと笑い合いながら、夕暮れの道を歩いていく。
何気ない会話、くだらない言い争い。一緒にいるだけで世界がコントのように面白くなる。
この居心地の良い「親友」という関係が、ずっと続けばいい。
俺はこの時、本気でそう思っていた。この関係が少しずつ、だが確実に変化していくことなど、微塵も気づかずに。

「たのもー! 悠太、遊びに来たぞー!」
土曜日の午後。俺の家の玄関のドアが勢いよく開き、元気な声が響き渡った。
「お前な、人の家を道場破りみたいに訪問するなよ……」
スウェット姿で出迎えた俺に、栞はビニール袋を二つ提げて得意げな顔を見せた。
「ふっふっふ。今日は親が旅行でいないんだろ? だから私が、寂しがるお前のために新作ゲームと大量のジャンクフードを持ってきてやったぞ! 感謝しろ!」
「俺は別に寂しがってねえよ! ていうか、なんでお前が俺の家の留守状況を把握してんだよ!」
「お前のオカンからLINEきた。『悠太が一人で可哀想だから、栞ちゃん遊んでやってね』って」
「うちのオカン、勝手に何してくれてんだ……」
俺の呆れ顔をよそに、栞はずかずかと家に上がり込み、迷うことなく俺の部屋へ直行した。
完全に自分の家のようにくつろいでいる。ベッドの上にダイブし、クッションを抱え込む姿は、とても年頃の女子高生とは思えない無防備さだ。
「さあ悠太! 今日は徹夜でこの『モンスター・ハンティング・サヴァイヴ』をやり込むぞ! 私は双剣で特攻するから、お前は後方で回復と支援を頼む!」
「お前が特攻して死ぬ未来しか見えねえよ! まあいい、俺の完璧なサポートを見せてやる」
かくして、俺たちのゲーム合宿(という名のただの入り浸り)が幕を開けた。
テレビ画面の前に並んで座り、コントローラーを握る。画面の中では、巨大なドラゴンに向かって栞のキャラクターが突撃していく。
「いっけえええ! 私の連続斬り!」
「バカ、敵の予備動作を見ろ! 尻尾攻撃が来るぞ!」
「ああっ!? 吹っ飛ばされた! 悠太、回復! 早く!」
「今アイテム使ってるところだ! ちょっ、こっちにタゲ向かってきたじゃねえか! お前がヘイト稼がないから!」
「うるさいな! 男ならどっしり構えて攻撃を受け止めろ!」
「ゲームの仕様に男女関係ねえよ!」
ギャーギャーと騒ぎながら、気づけば外はすっかり暗くなっていた。
時計の針は深夜一時を回っている。テーブルの上には、空になったピザの箱と、散乱したスナック菓子の袋、そして飲みかけのコーラのペットボトル。
「ふぅ……なんとかラスボス前まで来たな」
「さすが私と悠太のコンビだ。息ぴったりだったな」
「八割方、俺が尻拭いしてた気がするけどな」
俺が背伸びをして肩を回していると、隣から「ふぁ……」と小さな欠伸が聞こえた。
見ると、栞が目をこすりながら船を漕いでいる。
「おい、限界なら寝ろよ。明日続きやればいいだろ」
「う、うーん……でも、あと少しで……」
「いいから。ほら、コントローラー貸せ」
俺が栞の手からコントローラーを優しく抜き取ると、彼女は抵抗することなく、そのままコテンと俺の肩に頭を預けてきた。
「……ちょっ、おまっ」
突然の接触に、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。
肩から伝わる、彼女の柔らかな体温と、シャンプーの甘い香り。普段は男勝りで騒がしい栞が、今はまるで小動物のように静かに寝息を立てている。
「すー……すー……」
「マジで寝やがった……」
俺は身動きが取れず、どうしたものかと固まってしまった。
このままでは俺の肩が凝るし、何より心臓に悪い。意を決して、栞の肩をそっと支え、ベッドの方へ寝かせようとした。
その時、至近距離で栞の寝顔が目に入った。
長いまつ毛、少し開いた小さな唇、無防備な表情。
(……こいつ、一応女だったんだな)
そんな当たり前の事実を、俺は今更ながらに実感していた。
普段の「親友」というフィルターを通して見ている時には気づかなかったが、こうして静かな空間で二人きりになると、どうしても意識してしまう。
いやいや、落ち着け俺。相手はあの栞だぞ。唐揚げに勝手にレモンをかけるレモン野郎だぞ。
俺はブンブンと首を振り、雑念を振り払う。
そして、ベッドの上の毛布を引っ張り出し、栞の体にそっとかけた。
「……んぅ……悠太ぁ……唐揚げ……」
「寝言まで食いもんかよ。色気もクソもねえな」
俺は呆れながらも、なぜか緩んでしまう口元を隠すように、そっぽを向いた。
胸の奥で、今まで感じたことのない小さな火種が灯ったような気がしたが、俺はそれを「深夜のテンションのせいだ」と自分に言い聞かせることにした。
これはただの友情だ。最高の親友に対する、ただの親愛の情だ、と。
それは、秋も深まり肌寒くなってきたある日の昼休みだった。
俺は購買でパンを二つ買い、いつものように屋上へ向かう階段を登っていた。当然、一つは俺の分、もう一つは屋上で待っているはずの栞の分だ(ちなみに焼きそばパンとメロンパン。あいつは甘いのと辛いのを交互に食う変態なのだ)。
「おっそいなー、あいつ。またトイレか?」
屋上のドアを開けようとしたその時。
階段の踊り場にある窓際のスペースから、話し声が聞こえてきた。
「――だから、今度の日曜日、一緒に映画でもどうかなって思って」
「えっ、あ、ええっと……私と、ですか?」
聞き覚えのある声。栞だ。
俺は無意識に足を止め、壁の陰からそっと様子を窺った。
そこにいたのは、栞と、一つ上の三年生でサッカー部のエース、しかもイケメンで有名な先輩だった。
先輩は壁ドンまではいかないものの、栞を壁際に追い詰めるような形で立ち、甘い笑顔を向けている。一方の栞は、普段の強気な態度はどこへやら、珍しくしどろもどろになっていた。
「うん。前から夏目さんのこと、可愛いなって思っててさ。もしよかったら、付き合ってほしいんだ」
……は?
付き合ってほしい? あのイケメン先輩が、栞に? 告白?
俺の頭の中で、警報がガンガンと鳴り響いた。
いや、待て落ち着け。親友の俺としては、ここは祝福すべき場面だ。栞だって年頃の女子だ。あんなイケメンから告白されたら、そりゃあ嬉しいだろう。
俺は黙って見守るべきだ。そう、最高の親友として。
「えっと、その……お気持ちは嬉しいんですけど……」
「急に言われて困ってるよね。でも、俺、本気だから」
先輩が一歩距離を詰め、栞の頭に手をポンと乗せようとした。
その瞬間。
俺の体は、脳の指令を無視して勝手に動いていた。
「おーーーい! 栞!!」
バンッ! とわざとらしく大きな足音を立てて、俺は二人の間に割って入った。
「ゆ、悠太!?」
「わりぃわりぃ、待たせたな! 購買のパン、争奪戦が激しくてさ! ほら、お前が愛してやまない焼きそばパンとメロンパンの悪魔的セットだ!」
「え? あ、うん……」
突然の乱入者に、先輩はポカンと口を開けている。
「あの、君は……?」
「あ、どうも先輩! 俺、こいつの親友の相沢です! いやー、実は俺とこいつ、これから新作のフラペチーノを飲みに行く約束しててさ! 急がないと売り切れちまうんで、これで失礼します!」
「え? 昼休みにフラペチーノ?」
「そうです! 最近の高校生は昼にフラペチーノをキメるのがトレンドなんですよ! じゃあな先輩!」
俺は栞の手首をガシッと掴むと、呆然とする先輩を置いて、階段を駆け下りた。
「ちょ、ちょっと悠太! 引っ張るな! 転ぶ!」
「いいから来い!」
そのまま誰もいない中庭の裏まで引っ張っていき、ようやく手を離した。
俺は肩で息をしながら、壁に寄りかかった。
「お前……いきなり何なんだよ。せっかく先輩と話してたのに」
「……お前、あんなチャラそうな先輩の誘い、受けるつもりだったのかよ」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、棘があった。
栞は目を丸くして俺を見つめている。
「べ、別に受けるつもりはなかったけど……でも、告白されるなんて滅多にないから、どう断ろうか迷ってただけで……」
「迷ってたってことは、少しは気になってたってことだろ」
「はあ!? なんでそんな喧嘩腰なんだよ! だいたい、お前フラペチーノなんて甘ったるいもん飲まないじゃん!」
「うるせぇ! 今日から好きになったんだよ! 毎秒飲みたいくらいだわ!」
「どんな極端な味覚の変化だよ!」
栞は呆れたようにため息をつき、それからジッと俺の顔を覗き込んできた。
「……お前、もしかして」
「な、なんだよ」
「私が先輩と仲良くしてたから……妬いてくれたのか?」
ニヤニヤと悪戯っぽく笑う栞。
普段の俺なら、「バカ言ってんじゃねえよ! 誰がお前なんかに!」と即座にツッコんでいただろう。
しかし、なぜかその言葉が喉に引っかかって出てこない。
先輩が栞に触れようとした瞬間に感じた、胸が焼け焦げるような不快感。
他の男に向けられた、彼女の戸惑うような表情を見た時の、どうしようもない焦燥感。
それは、どう理屈をつけても「親友を心配する気持ち」の範疇を超えていた。
「……あー、クソ」
「え?」
「そうだよ。腹が立ったんだよ。お前が俺以外のヤツと、あんな風に話してるのを見てさ」
俺がヤケクソ気味にそう吐き捨てると、栞のニヤニヤ顔がピタリと止まり、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まっていった。
「なっ……! お、お前、急に素直になるなよ! ペース狂うだろうが!」
「俺だって狂ってんだよ! なんなんだよこの気持ちは! 親友が他のヤツといると腹が立つ病気か!?」
「そ、そんな病気あるかバカ!」
俺たちは真っ赤な顔をして、お互いにそっぽを向いた。
秋の冷たい風が吹き抜ける中、俺の心臓の音だけが、やけに大きく鳴り響いていた。
あの中庭での出来事以来、俺と栞の間には、今までになかった微妙な空気が流れるようになった。
相変わらず一緒に登校し、弁当を食べ、ゲーセンに行く日常は続いている。しかし、ふとした瞬間に目が合うと、お互いにパッと視線を逸らしてしまう。
ツッコミのタイミングが半テンポ遅れたり、ボケがどこか上の空だったり。
漫才コンビとしては致命的なスランプだ。
「……なあ、悠太」
放課後のファミレス。いつものボックス席で、いつものようにポテトをつついている時、栞がぽつりと口を開いた。
「なんだよ」
「最近、私たち、なんか変じゃないか?」
ストローを噛みながら、栞が探るような目で俺を見る。
俺は平静を装いながら、コーラを一口飲んだ。
「変って、何がだよ。いつも通りだろ。お前が俺の唐揚げを狙って、俺がそれを死守する。完璧なルーティンだ」
「ごまかすな。お前、最近私と目が合うとすぐ逸らすだろ。それに、私がボケてもツッコミが甘い。『なんでやねん』のキレが落ちてるぞ」
「俺は関西人じゃねえよ。……まあ、確かに、ちょっと意識してる部分は、あるかもな」
「……何を?」
栞の声がわずかに上擦る。
俺はポテトを一本指で弄びながら、自分の中にある感情を整理しようと試みた。
「あの中庭での一件からさ。俺、ずっと考えてたんだよ。俺たちって、周りからは『付き合ってる』って言われてるけど、俺たち自身は『最高の親友だ』って言い張ってきただろ?」
「う、うん。そうだね」
「でもさ、親友だったら、相手に恋人ができたら喜んで応援するのが普通だよな。でも俺は、先輩がお前に告白してるのを見て、応援するどころか、邪魔して引き剥がしてしまった」
俺がそこまで言うと、栞は俯いて、膝の上で両手をギュッと握りしめた。
「……私だって、そうだよ」
「え?」
「もし悠太が、他の可愛い女の子から告白されて、デレデレしてるのを見たら……私、絶対その女の子にドロップキックかましてると思う」
「どんな過激派だよ! 犯罪だぞそれ!」
「例え話だろ! それくらい、嫌だってことだよ……」
栞の小さな声が、ファミレスの喧騒に溶けるように響いた。
お互いが、お互いを「誰にも渡したくない」と思っている。
それはつまり、独占欲だ。友情という便利な言葉でラッピングして誤魔化してきた、紛れもない恋愛感情。
「……俺たち、もう『ただの親友』って言い張るには、無理があるのかもしれないな」
俺がそう呟くと、栞は顔を上げ、不安そうな瞳で俺を見つめた。
「じゃあ……私たちは、何になるの? 親友じゃなくなるの?」
「……それは……」
言葉に詰まった。
親友じゃなくなる。その響きは、今の居心地の良い関係が壊れてしまうようで、ひどく恐ろしかった。
もし告白して、うまくいかなかったら? 今までのバカみたいなやり取りは、もう二度とできなくなるのか?
その恐怖が、俺の背中を重く押さえつけていた。
「……ごめん、変なこと言ったな。今日はもう帰ろうぜ」
俺は逃げるように立ち上がり、伝票を手に取った。
栞は何も言わず、ただ黙って俺の後をついてきた。
帰り道、いつもなら絶え間なく続くくだらない会話は一切なく、ただ足音だけが響いていた。
夕日に伸びる二つの影は、つかず離れずの距離を保ったまま、決して交わることはなかった。
「……じゃあな、悠太」
「おう、また明日」
家の前で別れる時、栞の表情はどこか寂しげに見えた。
俺は自分の不甲斐なさに舌打ちをしながら、玄関のドアを閉めた。
このままじゃダメだ。
この中途半端な関係を、俺の口からちゃんと終わらせて、新しく始めなきゃいけない。
最高の親友という殻を破る覚悟が、俺には必要なんだ。
家に入り、ベッドに仰向けに倒れ込む。
天井の木目をぼんやりと見つめながら、俺は栞と出会ってからの日々を思い返していた。
ゲーセンでの熱い対戦。ファミレスでの無駄な議論。一緒にゲームをして夜更かししたこと。
そのどれもが、俺にとってはかけがえのない宝物だ。
「親友」という言葉は、俺たちにとって最も都合の良い隠れ蓑だった。照れ臭さや、関係が変わってしまうことへの恐怖を、「俺たちはダチだから」という一言で全て覆い隠してきたのだ。
しかし、その蓑はもうボロボロだった。お互いの感情が大きくなりすぎて、隠しきれなくなっている。
「……ドロップキック、か。あいつならマジでやりかねないな」
栞の言葉を思い出し、ふっと笑みが溢れる。
他の女といる俺を見て、嫉妬して怒る栞。その姿を想像するだけで、どうしようもなく愛おしいと感じてしまう自分がいる。
もう、誤魔化すのはやめだ。
俺は栞が好きだ。親友としてではなく、一人の女として。
明日、ちゃんと伝えよう。この、最高で最強の親友関係に、終止符を打つために。
俺はスマートフォンを手に取り、栞のトーク画面を開いた。
『明日、放課後に教室でちょっと話がある。残っててくれ』
短いメッセージを送信する。
すぐに既読がつき、スタンプが一つだけ返ってきた。
それは、ウサギのキャラクターが親指を立てて「了解!」と言っている、いつもと同じふざけたスタンプだった。
でも、その裏にある栞の緊張が、俺には手に取るようにわかった。
決戦は明日。俺の人生で一番緊張する、大一番だ。

翌日の放課後。
夕暮れの教室には、俺と栞の二人だけが残っていた。
秋の西日が窓ガラスを通して差し込み、教室中をオレンジ色に染め上げている。遠くから吹奏楽部の練習する音が微かに聞こえる以外は、静寂が包んでいた。
栞は自分の席に座り、机の上の木目を指でなぞっている。俺はその前の席に反対向きに座り、彼女と向かい合っていた。
「……で、話って何だよ。改まって」
栞が沈黙を破るように、少しぶっきらぼうな声で言った。しかし、その声は微かに震えている。
「あー、うん。その前にな、一つ確認しておきたいことがある」
「なんだよ」
「俺たち、出会ってから今まで、最高のダチだよな?」
「……うん。誰よりも気が合う、最高の親友だ」
栞は顔を上げず、小さな声で答えた。
「俺のしょうもないボケにも、お前は的確にツッコんでくれるし。お前の無茶苦茶な行動にも、俺は最後まで付き合ってきた」
「私の方がボケで、お前がツッコミだろ」
「どっちでもいいわ。とにかく、俺たちの相性は完璧だ。それはお前も認めるよな?」
「……うん。認める」
よし、と俺は心の中で深く息を吸い込んだ。
膝の上に置いた手は、汗でじっとりと湿っている。心臓の音がうるさくて、自分の声がちゃんと出ているか不安になるくらいだ。
「でもさ。俺、それだけじゃ足りなくなったみたいだ」
その言葉に、栞がビクッと肩を揺らし、ようやく顔を上げて俺を見た。
その瞳は少し潤んでいて、不安と期待が入り混じったような、今にも泣き出しそうな表情だった。
「……足りないって、何が」
「俺、お前のこと『親友』って呼ぶの、もう辞めるわ」
わざと意地悪な言い方をした。
栞の顔がサッと青ざめる。
「えっ……それって、絶交ってこと……? 私、何かお前に嫌われるようなことしたか……? もし唐揚げの件なら謝るから……!」
「ちげーよ! バカ! なんでそこで唐揚げが出てくんだよ!」
「だってお前、食べ物の恨みは恐ろしいっていつも……!」
「今は食いもんの話はしてねえだろ! ちゃんと最後まで聞け!」
俺は立ち上がり、栞の机に両手をついて、彼女の顔を真っ直ぐに見下ろした。
至近距離で目が合う。栞は息を呑み、瞬きすら忘れたように俺を見つめ返してきた。
「絶交じゃない。昇格だよ」
「……昇格?」
「俺は、お前のことが好きだ。ゲーセンでバカみたいに騒ぐお前も、美味そうに飯を食うお前も、寝顔が意外と無防備なところも、全部好きだ。親友としてじゃなく、一人の男として、お前のことが好きだ」
一気に言い切った。
教室の中の空気が、ピタリと止まったような気がした。
栞は目を丸くしたまま、ポカンと口を開けて固まっている。
「……え? 好き? 私のこと?」
「そうだっつってんだろ。何回言わせんだ」
「ど、どのくらい? 唐揚げくらい?」
「なんでまた唐揚げが出てくんだよ! お前の脳内はどうなってんだ! ……いや、そうだな。唐揚げよりも、ハンバーグよりも、焼肉よりも好きだわ」
「結構好きだな!?」
「当たり前だろ! 人生で一番好きだよ!」
俺が怒鳴るように言うと、栞の顔がボンッ! と音が鳴りそうなほど真っ赤に染まった。
両手で顔を覆い、机に突っ伏してしまう。
「……バカ悠太。急にそんなこと言うなよ……心臓止まるかと思った……」
「こっちだって死ぬほど緊張してんだよ。……で、お前はどうなんだよ」
机に突っ伏したままの栞の頭に、俺はそっと手を乗せた。
少し硬い髪の感触が、手のひらに伝わってくる。
「……私も」
「ん?」
「私も、悠太のこと、好きだ。他の誰かに取られるなんて絶対に嫌だ。私の隣は、悠太じゃなきゃダメだ」
くぐもった声だったが、その言葉はしっかりと俺の胸に届いた。
全身の力が抜けていくような安堵感と共に、どうしようもない嬉しさが込み上げてくる。
「そっか。よかった」
「……でも、私、彼女とかそういう柄じゃないぞ。甘えたりとか、可愛いこと言ったりとか、できないし」
栞が顔を半分だけ上げて、上目遣いで俺を見る。
「別にいいよ。今まで通りで。お前のその無茶苦茶なボケには、俺が一生隣でツッコミを入れてやるから」
「一生って……重いな」
「うるせえ。それくらいの覚悟で言ってんだよ。……だから、俺の彼女になってください」
俺が改めて手を差し出すと、栞は少し躊躇いながらも、その手をしっかりと握り返してきた。
彼女の手は少し震えていて、でも、とても温かかった。
「……仕方ないから、一生ボケてやるよ。よろしくな、悠太」
照れ隠しのように笑う彼女の顔は、夕日よりも赤く、今まで見たどんな顔よりも最高に可愛かった。
こうして俺たちは、「最高の親友」という肩書きを捨て、新しい関係へと一歩を踏み出したのだった。

付き合い始めてから数日後。
俺は朝の通学路を歩きながら、激しく葛藤していた。
「おはよう、って言うべきか? いや、それとも『よお、俺の彼女』とか言うべきか? いやいや、それはキモすぎるだろ……」
一人でぶつぶつと呟きながら歩いていると、後ろから勢いよく背中を叩かれた。
「ぐふっ!?」
「よお、私の彼氏殿! 今日も良い天気だな!」
振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた栞が立っていた。
いつも通りの制服の着崩し方、首にかけたヘッドホン。変わったことと言えば、その表情がいつも以上に晴れやかなことくらいだ。
「お前な……朝からテンション高すぎだろ。背中折れるかと思ったわ」
「なんだよ、付き合った途端に初心なリアクションしやがって。彼女からの熱いスキンシップだろうが」
「ドロップキック一歩手前の打撃をスキンシップとは呼ばねえよ!」
いつものようにツッコミを入れると、栞はケラケラと笑った。
ああ、よかった。関係が変わっても、このノリは変わらないんだな。
俺は少しホッとしながら、栞と並んで歩き出した。
「なあ、悠太」
「ん?」
「付き合ったからには、やっぱりアレ、やるべきだよな?」
「アレって何だよ」
栞は少しモジモジしながら、俺の右手をチラチラと見ている。
……なるほど。そういうことか。
俺はわざとため息をつき、「仕方ねえな」と右手を差し出した。
「ほらよ」
栞は嬉しそうに笑うと、俺の手に自分の手を重ねてきた。
指と指を絡ませる、いわゆる恋人繋ぎ。今まで何度も一緒に歩いてきた道なのに、手を繋いでいるだけで、景色が全く違って見えるから不思議だ。
「……なんか、照れるな」
「私に惚れ直したか?」
「調子乗んな」
そんな憎まれ口を叩き合いながら学校の門をくぐると、たまたま下駄箱の近くにいた佐藤たちクラスメイトの集団と鉢合わせた。
彼らは俺たちの繋がれた手を見るなり、目を丸くして固まった。
「お、おい……お前ら、それ……」
佐藤が震える指で俺たちの手を指差す。
俺と栞は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「ああ、ついに俺たち、付き合うことになったわ」
「そういうことだ。今日から私たちは『最高の親友』改め『最高のカップル』だ。羨ましいだろ?」
俺たちが堂々と宣言すると、佐藤たちは一瞬の沈黙の後、一斉に盛大なため息をついた。
「いや、やっとかよ!!」
「おせーよ! 周りから見たら一年前から付き合ってるようにしか見えなかったわ!」
「むしろ今まで付き合ってなかったのがホラーだよ!」
次々と飛んでくるクラスメイトたちのツッコミ(祝福?)に、俺と栞はゲラゲラと笑った。
周りからどう見られていたかなんて関係ない。
俺たちにとっては、あの中途半端で、もどかしくて、でも最高に楽しかった「親友」の期間があったからこそ、今こうして最高の形で結ばれることができたんだ。
「ま、これからもよろしくな。俺の最高のパートナー」
「おうよ! 私のボケに一生ついてこい!」
繋いだ手に少しだけ力を込める。
俺たちの関係は「親友」から「恋人」へと変わった。
でも、俺たちの本質は何も変わらない。
くだらないことで笑い合い、唐揚げにレモンをかけるかどうかで本気で喧嘩し、ゲームで熱くなり、そして誰よりもお互いを理解し合う。
これは、男同士の友情のようなノリで愛を育む、ちょっと変わった、でも最高に幸せな男女の物語。
「あ、そうだ悠太。今日の昼は購買のパンな。私が焼きそばパンで、お前がメロンパンな」
「なんで俺が甘い方なんだよ! 俺も焼きそばパンが食いてえ!」
「彼氏なら彼女に譲る度量を見せろ!」
「都合のいい時だけ彼女の権利を行使すんな!」
今日もまた、俺たちの漫才は続く。
でも、今度はもう、誤魔化す必要はない。
「親友だから」なんて言い訳をしなくても、俺たちは堂々と、この居心地の良い隣の席に座り続けることができるのだから。