タイトル:『俺の親友(♀)が距離感バグりすぎてて、もはや俺たち付き合ってる説』
「ラウンド・スリー、ファイッ!」
薄暗いゲームセンターのフロアに、無機質な合成音声が響き渡る。
俺、相葉悠真(あいばゆうま)は、額にじわりと浮かんだ汗を拭う余裕もなく、アーケードスティックを必死にガチャガチャと操作していた。
画面の向こう側では、俺の操る屈強な格闘家キャラクターが、相手の小柄な忍者キャラクターによって画面端(画面の端っこ、いわゆる死地)に追い詰められ、無残にもサンドバッグ状態にされている。
「くっそ、なんだこの理不尽な起き攻め……! そこで下段ガード崩してくるとか、絶対性格悪いだろ!」
俺は思わず悪態をついた。高校に入学して一ヶ月。新しい環境のストレスを発散するために立ち寄った駅前のゲーセンで、まさかこんな見ず知らずの対戦相手にメンタルをタコ殴りにされるとは思わなかった。
「そこっ! 隙ありぃ!」
その時、隣の筐体から、クリアでよく通る、しかしどこか好戦的な女の子の声が聞こえた。
直後、画面の中で俺のキャラクターが空中高く打ち上げられ、そのまま容赦のない超必殺技のコンボを叩き込まれて「K.O.」の文字がデカデカと表示された。
「あーっ! まじかよ! 今の絶対ガード間に合ってたって!」
「ふふん、甘い甘い! 格ゲーってのはね、相手の心(メンタル)を先にへし折った方が勝ちなのよ!」
隣の席から、カラカラと笑う声がする。あまりにも腹が立った俺は、どんな嫌な顔をした奴がプレイしているのか拝んでやろうと、筐体の仕切り越しに身を乗り出した。
「おいお前、そのプレイスタイルはいくらなんでも……って、え?」
「ん? なによ、文句あるの……って、あれ?」
視線が交差する。
そこに座っていたのは、いかにも「ゲーセンの主」みたいなむさ苦しい男ではなく、サラサラの肩下まである髪を揺らし、目を丸くしてこちらを見つめる美少女だった。
しかも、その顔には見覚えがある。というか、毎日見ている。
「……星野、結愛?」
「……相葉、くん?」
お互いに名前を呼び合い、数秒の沈黙が落ちた。
星野結愛。俺と同じクラスの女子だ。彼女はクラスでは「清楚でおとなしい、優等生タイプの美少女」として男子たちの間で密かに人気を集めている存在だったはずだ。休み時間も静かに本を読んでいるような、そんなイメージだった。
「お前……なんでこんなとこにいるんだよ。しかも、そのキャラであの極悪コンボ繋ぐとか、どんな修羅の道を歩んできたんだ?」
「そ、それはこっちのセリフでしょ! 相葉くんこそ、なんであんな陰湿な待ちプレイしてんのよ! 男ならもっとガンガン攻めてきなさいよ!」
「俺のプレイスタイルは堅実と言ってくれ! ていうか、お前、クラスでのあの猫かぶりはなんだよ! 今の暴言、録音してクラスの男子に聞かせてやりたいぜ」
「や、やめてよ! 私だって高校デビューで『清楚系おしとやか女子』を目指して頑張ってたのに……! こんなところでボロが出るなんて!」
星野は頭を抱え、台パン一歩手前の勢いでアーケード台に突っ伏した。
その姿を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「あっはっは! 無理すんなって。どう見てもお前の本性は、格ゲーで相手を煽り散らす戦闘狂(バーサーカー)だろ」
「う、うるさいっ! 相葉くんのバカ!……でも、まあ」
星野は顔を上げると、ふっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「相葉くん、意外とやるじゃない。私のあのコンボ、初見でガードしようとした人、今までいなかったよ」
「俺を誰だと思ってる。伊達に中学時代、ゲーセンに入り浸ってないからな」
「へえ。じゃあ、もう一戦やる? 次は手加減してあげてもいいわよ?」
「売られた喧嘩は買う主義だ。ただし、負けたらジュース奢りな」
「上等じゃない! 返り討ちにしてあげるわ!」
そこから俺たちは、時間を忘れて対戦に没頭した。勝ったり負けたりを繰り返し、気づけば外はすっかり暗くなっていた。
「あー、負けた! くっそー、私の奢りね」
自販機で買った缶コーラを俺に投げ渡し、星野は隣のベンチにどかっと座り込んだ。清楚系の面影は微塵もない。
「サンキュー。いやあ、お前マジで強いわ。久々に本気でゲームした」
「私も。クラスに同じ趣味の人がいてよかった。……ねえ、相葉くん」
星野は缶ジュースのプルタブを開けながら、俺の方をじっと見た。
「今日のこと、クラスのみんなには内緒にしてくれる? 私の『清楚系計画』が崩壊しちゃうから」
「もちろん。その代わり、これからも俺の対戦相手(スパーリングパートナー)になれよ。俺たちの間に、もう隠し事はなしだ」
「ふふっ、いいわよ。よろしくね、私の魂のブラザー!」
「誰がブラザーだ。お前は女だろ。せめてシスターにしろ」
「細かいことは気にしない! 私たちは今日から最高の親友よ!」
星野はニカッと笑い、俺の缶コーラに自分の缶をカンッとぶつけてきた。
こうして、俺と星野結愛の、奇妙で騒がしい「最高の友情関係」が幕を開けたのだった。

「おい星野、お前また俺の弁当のおかずに手を出したな!?」
昼休みの教室。俺は自分の弁当箱から忽然と姿を消したタコさんウインナーの行方を追って、正面に座る星野をキッと睨みつけた。
星野はもぐもぐと口を動かしながら、悪びれる様子もなくニヤリと笑う。
「なんのことかなー? 私の口の中には、ただの美味しいタンパク質しか入ってないけど?」
「完全に自白してんじゃねえか! 俺が朝早く起きて、わざわざタコの足になるように切れ目を入れた傑作を返しやがれ!」
「弱肉強食がこの世の理(ことわり)よ、相葉くん。隙を見せた方が悪いの。ほら、お詫びに私のブロッコリーをあげるから」
「等価交換の法則を完全に無視すんな! 俺のウインナーとブロッコリーが同価値なわけないだろ!」
「えー、ブロッコリー栄養あるよ? 筋肉喜ぶよ?」
「俺はボディビルダーじゃねえ!」
俺たちの机は、いつの間にかぴったりとくっつけられていた。出会いから数週間、ゲーセンでの一件以来、俺たちはすっかり意気投合し、学校でもこうして一緒に過ごすのが当たり前になっていた。
「お前ら、今日も相変わらず漫才やってんな」
呆れたような声とともに、友人の田中が近づいてきた。彼は俺と星野のやり取りを見て、やれやれと肩をすくめている。
「漫才じゃない。これは生存競争(サバイバル)だ」
「そうよ田中くん。私はこの相葉という非常食から、いかに効率よくカロリーを摂取するかという壮大な実験をしているの」
「俺の扱い、非常食以下じゃねえか」
「いや、お前らさ……」田中はジト目で俺たちを交互に見た。「本当は付き合ってんだろ? クラスの奴らもみんなそう言ってるぞ。『星野さんが相葉としか喋らない』『あの二人、距離感おかしくない?』って」
「「はぁ!?」」
俺と星野の声が見事にハモった。
「ないないない!」俺は全力で手を振って否定した。「俺と星野が? あり得ないから。こいつはただのゲーム友達、もとい親友だ。俺の魂のブラザーだぞ?」
「そうそう!」星野も激しく頷く。「私と悠真が付き合うなんて、天変地異が起きてもあり得ない! 悠真は私のサンドバッグ兼、都合のいいパシリだから!」
「パシリって言うな! 親友って言え!」
「ほら、親友だって。男女の友情は成立するのよ、田中くん」
「……お前ら、お互い下の名前で呼び合ってる時点で、もう手遅れ感あるんだけどな」
田中はため息をつきながら自分の席に戻っていった。
俺と星野は顔を見合わせ、同時に肩をすくめた。
「やれやれ、これだから凡人は困るよな。俺たちの崇高な友情が理解できないとは」
「ほんとほんと。恋人なんて窮屈な関係、私たちには似合わないよねー。親友が一番気楽でいいわ」
そう言いながら、星野は俺の弁当箱から今度は卵焼きを奪い取ろうと箸を伸ばしてきた。
「あ、こら! だから人の飯を奪うな!」
「あはは! 油断したね悠真!」
放課後。俺たちはいつものように連れ立って学校を出た。ゲーセンに行く日もあれば、こうしてカラオケに直行する日もある。
「今日はアニソン縛りね! 負けた方がジュース奢り!」
カラオケボックスの狭い個室に入るなり、星野はマイクを握りしめて宣言した。
「受けて立つ。俺の十八番で勝負してやるよ」
星野が選曲したのは、熱血系ロボットアニメの主題歌だった。清楚な外見からは想像もつかないほどのパワフルな歌声で、こぶしを効かせて熱唱する。
「お前、本当にそのルックスの無駄遣いやめろよ……」
「るっさい! 歌う時は全力! これが星野結愛のジャスティスよ!」
次に俺がマイクを握り、お返しとばかりに激しいロック調のアニソンを歌う。星野はタンバリンを叩きながら全力で合いの手を入れてくる。
「いけいけ悠真! そこでシャウト!」
「お前の合いの手がうるさくて音程外れただろ!」
「それは悠真の実力不足! はい、私の勝ちー!」
息を切らしながらソファに倒れ込み、二人で顔を見合わせて大笑いする。
星野と一緒にいると、本当に退屈しない。目に入るものすべてがネタになり、呼吸をするようにボケとツッコミが交差する。
恋人なんて甘ったるい関係じゃない。俺たちは、世界で一番気が合う「最高の親友」なのだ。俺は本気でそう信じて疑わなかった。
「というわけで、今週末は我が相葉家で『第一回・徹夜ゲーム合宿』を開催する!」
金曜日の放課後、俺が声高らかに宣言すると、隣を歩いていた星野が「おおー!」と両手を挙げて歓声を上げた。
「親は? 兄弟は?」
「親父もお袋も、親戚の結婚式で日曜の夜まで不在だ。つまり、この家は完全に俺たちの城(フリーダム)というわけだ」
「最高じゃない! よーし、今日は徹夜で新作のRPGクリアするまで帰らないからね!」
「おう、望むところだ。その前に、まずは腹ごしらえだな。スーパーに寄って買い出し行くぞ」
俺の家の近くのスーパーに到着した俺たちは、カートを転がしながら食品売り場を練り歩いた。
「夕飯、何にする? 悠真、料理できるの?」
「俺を誰だと思ってる。カップ麺にお湯を注ぐことにかけては、右に出る者はいないぜ」
「それ料理って言わないから。……仕方ない、ここは私が腕を振るってあげようかな!」
星野がドヤ顔で胸を張る。俺は訝しげに彼女を見た。
「お前、料理できんの? 家庭科の調理実習で、砂糖と塩を間違えて班員を阿鼻叫喚の地獄に叩き落としたって噂を聞いたぞ」
「そ、それは過去の過ちよ! 今の私は一味違うわ。見てなさい、最高のカレーを作ってあげるから!」
星野はそう言うと、カゴの中にカレールー、豚肉、玉ねぎ、じゃがいも……そしてなぜか「チョコレート」と「ハバネロソース」を放り込んだ。
「おい待て、後ろの二つはなんだ。隠し味の範疇を超えてるぞ」
「バカね、カレーは奥が深いのよ。このスリルがスパイスになるの!」
「俺の胃袋で人体実験すんな! よし、安全第一だ。今日はピザを頼むぞ!」
「えー! 私の手料理、食べたかったくせに!」
「命の方が大事だ!」
結局、俺たちは大量のスナック菓子と炭酸飲料、そして宅配ピザのチラシを握りしめて俺の家へと向かった。
夜。リビングの大きなテレビ画面の前に陣取り、俺たちはゲームのコントローラーを握りしめていた。
「ほら悠真、右から敵来てる! 撃て! 撃て!」
「わかってる! つーかお前、弾の無駄遣いしすぎだ! リロード中はカバーしろって!」
画面の中では、俺たちの操るキャラクターがゾンビの群れと死闘を繰り広げている。
ピザを片手に、コーラで流し込みながらのゲームは最高にジャンクで、最高に楽しかった。
「あーっ! やられた! 悠真、あとは頼んだ!」
「お前が突っ込むからだろ! あ、くそ、俺も弾切れ……ぎゃあああ!」
ゲームオーバーの画面が表示され、二人してカーペットの上に大の字に寝転がる。
「あー、惜しかったなー」
「悠真のエイム(照準)がガバガバすぎるのが敗因ね」
「お前がヒャッハーして突撃するからカバーしきれなかったんだろ」
文句を言い合いながらも、すぐに「もう一回!」とコントローラーを手に取る。これが親友との正しい休日の過ごし方だ。
夜が深まるにつれ、話題はゲームから学校のこと、クラスの噂話へと移っていった。
「そういえば、田中がまた『お前ら付き合ってないの?』って聞いてきたぞ」
「あー、私もしつこく聞かれる。なんでみんな、男女が仲良くしてるとすぐ恋愛に結びつけたがるのかなー」
星野はポテトチップスをかじりながら、不満そうに唇を尖らせた。
「だよな。俺たちが付き合うとか、想像しただけで鳥肌立つわ」
「ほんとそれ。悠真の彼女になるとか、罰ゲームでしょ。……でもさ」
星野はふと、声のトーンを落とした。
「悠真は、私が親友で……よかった?」
少しだけ不安そうな、普段の強気な彼女らしからぬ表情。俺は迷わず答えた。
「当たり前だろ。お前ほど一緒にいて気楽で、楽しい奴はいない。最高の親友だ」
「……そっか。うん、私も! 悠真は最高のブラザーよ!」
星野はいつもの笑顔に戻り、俺の肩をバシッと叩いた。
気づけば窓の外が白み始めていた。
「ふぁ〜……さすがに眠くなってきた……」
星野が目をこすりながら、カーペットの上で丸くなる。
「おい、風邪引くぞ。俺のベッド使えよ。俺はここで寝るから」
「いいよぉ、面倒くさい……ここで寝る……」
そう言って、星野はクッションを抱きしめたまま、あっという間に寝息を立て始めた。
「おいおい、無防備すぎだろ……」
俺はため息をつき、クローゼットから毛布を引っ張り出してきて、彼女の上にふわりと掛けた。
その時、ふと星野の寝顔が至近距離にあることに気づいた。
長いまつ毛、少し開いた薄紅色の唇、規則正しく上下する華奢な肩。
(……こうして黙ってると、こいつ、めっちゃ美少女なんだよな……)
ドクン、と。胸の奥で、心臓がいつもより少しだけ大きく鳴った気がした。
静まり返った部屋の中で、その音がやけに響く。
「……なに考えてんだ、俺」
俺は慌てて首を振り、自分に言い聞かせるように呟いた。
「こいつは親友だ。俺の、ただの親友だろ」
少しだけ火照った頬を両手で叩き、俺は星野から少し離れた場所に寝転がった。
しかし、その日はなぜか、目を閉じてもなかなか眠りにつくことができなかった。
季節は巡り、セミの鳴き声がやかましくなり始めた夏休み前のこと。
「相葉くん、ちょっといいかな?」
昼休み、俺の席にやってきたのは、隣のクラスの男子生徒だった。名前は確か、佐藤。サッカー部のエースで、女子からの人気も高い爽やかイケメンだ。
「ん? なんだよ改まって」
「実はさ、星野さんにちょっと話があって。でも、彼女いつも君と一緒にいるから、声かけづらくてさ。もしよかったら、放課後に中庭まで来てくれるように伝えてくれないかな?」
佐藤の言葉に、俺は一瞬思考が停止した。
「……星野に? 話って、もしかして……」
「うん。まあ、そういうこと。頼んだよ」
佐藤は照れくさそうに笑い、爽やかな風を残して去っていった。
俺は手の中のシャープペンシルを無意識にいじりながら、大きく息を吐いた。
(告白……だよな、あれ。まあ、星野は黙ってれば美少女だし、モテるのも無理はないか)
親友に春が来る。それは本来、両手を挙げて喜ぶべきことだ。俺だって、星野に彼氏ができたら「おめでとう、捨てられないように気をつけろよ」と笑って背中を押してやるつもりだった。
それなのに。
「……なんだよ、このモヤモヤは」
胸の奥に、鉛を飲み込んだような重苦しい感覚が居座っている。
昼休みの終わり、購買から戻ってきた星野に、俺は努めて明るい声で佐藤からの伝言を伝えた。
「お、星野。お前に春が来たぞ。隣のクラスの佐藤が、放課後に中庭で待ってるってさ。完全に告白フラグだな!」
俺の言葉を聞いて、星野は「えっ」と目を丸くした。
「佐藤くんが? 私に?」
「おう。あいつサッカー部のエースだし、顔もいい。優良物件じゃねえか。よかったな!」
「……そう、だね。うん、わかった。行ってみる」
星野はなぜか少しだけ表情を曇らせ、俺の顔をじっと見た。
「なんだよ。俺の顔に何かついてるか?」
「ううん、なんでもない。……じゃあ、放課後行ってくるね」
いつもなら「私の魅力にようやく時代が追いついたわね!」くらい言い放つはずの彼女が、妙に大人しい。その背中を見送りながら、俺の胸のモヤモヤはさらに大きくなっていった。
放課後。俺は一人で教室に残り、カバンに教科書を詰め込んでいた。
いつもなら、隣で星野が「ゲーセン行くぞー!」と騒いでいる時間だ。しかし今日、隣の席は空っぽだ。
(今頃、中庭で告白されてるのか……。OKするのかな。佐藤ならお似合いだしな。……いや、でもあいつ、ゲームの趣味とか合うのか? 星野のあの怒涛のボケにツッコめるのか?)
気づけば、俺は佐藤のダメ出しばかりを考えていた。
「……あー、くそっ! 気になって仕方ねえ!」
俺はカバンを放り投げ、教室を飛び出した。気づけば、足は自然と中庭の方へと向かっていた。
親友の晴れ舞台をこっそり見守るだけだ。決して邪魔をするつもりはない。そう自分に言い訳をしながら、校舎の陰から中庭を覗き込んだ。
そこには、向かい合って立つ佐藤と星野の姿があった。
佐藤が何かを真剣な顔で話し、星野がそれを黙って聞いている。距離が遠くて声は聞こえないが、二人の間に流れる空気で、それが「告白」であることは一目瞭然だった。
(……星野、どんな顔してんだろ)
胸が締め付けられるように痛い。見なきゃよかった、と後悔したその時。
星野が深く頭を下げた。
そして、何か短い言葉を交わした後、彼女は佐藤に背を向け、校舎の方へと歩き出した。
俺は慌てて物陰に隠れ、彼女が通り過ぎるのを待った。
数分後、教室に戻ると、すでに星野が自分の席に座っていた。
「お、おかえり。……どうだった?」
俺が恐る恐る尋ねると、星野はくるりとこちらを向き、いつもの明るい笑顔を見せた。
「断ってきた!」
「……は? 断った? なんでだよ! 相手は佐藤だぞ!? お前、もったいないお化けが出るぞ!」
俺は驚きのあまり、思わず声を荒げてしまった。
星野は頬杖をつき、ふうっとため息をつく。
「だってさ、佐藤くんと付き合っても、絶対うまくいかないもん」
「なんでわかるんだよ。付き合ってみなきゃわかんねえだろ」
「わかるよ。だって……佐藤くんと一緒にいても、悠真と一緒にいる時みたいに笑えないもん」
「えっ……」
「私さ、ゲームで熱くなったり、くだらないことで言い合ったり、そういうのが好きなの。佐藤くんは優しすぎるから、私がボケても『そうだね』って笑うだけで、ツッコんでくれない気がする」
星野はそう言って、俺の目をまっすぐに見つめた。
「私には、0.5秒で的確なツッコミを入れてくれる相棒が必要なの。……つまり、悠真みたいなね」
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸の中にあった重苦しい鉛のような感情が、嘘のようにスッと消え去っていくのを感じた。
代わりに、じんわりとした温かいものが広がっていく。
「……俺はAIか何かかよ。まあ、お前がそれでいいなら、俺は何も言わねえけどさ」
「うん! だからこれからも、私の面倒ちゃんと見てよね、親友!」
「へいへい。仕方ねえから、一生ツッコんでやるよ」
俺は笑いながらそう答えたが、心の中では激しく動揺していた。
(俺、なんでこんなにホッとしてるんだ? なんで、あいつが告白を断って嬉しかったんだ?)
「親友」だから。そんな言い訳が、もう自分の中で通用しなくなり始めていることに、俺は気づかないふりをした。
秋風が冷たくなり始めた11月の半ば。
俺はベッドの中で、重い頭を抱えて唸っていた。
「くそっ……見事に風邪引いた……」
体温計の表示は38.5度。全身の関節が痛み、喉は焼け付くように熱い。両親は共働きで今日は帰りが遅く、家には俺一人だった。
学校に欠席の連絡を入れ、再び泥のように眠りにつこうとしたその時。
ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴り響いた。
「……こんな時間に誰だ……宅配便か?」
重い体を引きずって玄関に向かい、ドアを開ける。
「じゃじゃーん! 親友のピンチと聞いて、星野結愛、推参!」
そこには、スーパーのレジ袋を両手に提げ、ドヤ顔で立つ星野の姿があった。
「……お前、なんでここに……学校は?」
「早退してきた! 悠真が休むなんて珍しいから、絶対重病だと思って! ほら、早くベッドに戻って!」
星野は俺の背中を押し、半ば強引に俺をベッドに押し戻した。
「バカ、お前うつるぞ……帰れよ……」
「バカは風邪引かないから大丈夫! それに、親友が弱ってる時に見捨てるなんて、私の辞書にはないの!」
星野はエプロンを取り出すと、意気揚々とキッチンへ向かっていった。
「……あのさ、お前、料理できない設定じゃなかったっけ……?」
「今日は特別! 悠真のために、特製のお粥を作ってあげるから待ってて!」
キッチンから、カチャカチャと食器の鳴る音や、「あっ!」「熱っ!」という不穏な声が聞こえてくる。俺は熱でぼんやりする頭で、(これでトドメを刺されるかもしれないな)と覚悟を決めた。
数十分後。
「お待たせ! 星野特製、愛情たっぷりたまごお粥だよ!」
お盆に乗せられてやってきたのは、見た目はまともな、むしろ美味しそうな匂いのするお粥だった。
「……マジか。ダークマターじゃないのか」
「失礼ね! レシピ動画見ながら作ったんだから! ほら、起き上がって」
星野はベッドの脇に座ると、スプーンでお粥をすくい、ふーふーと息を吹きかけて冷まし始めた。
「はい、あーん」
「……は?」
「だから、あーん! 病人は大人しく看病されるの!」
「いや、手は動くから自分で食える……」
「いいから! ほら、口開けて!」
星野の謎のプレッシャーに負け、俺は恐る恐る口を開けた。
温かいお粥が口に運ばれる。味は……驚くほど美味しかった。優しい出汁の味が、弱った胃に染み渡る。
「……うまい」
「でしょ!? ふふん、私だってやればできる女なのよ」
星野は嬉しそうに笑い、次々と俺の口にお粥を運んでくる。
「はい、次! あーん!」
「……あーん」
なんだこの状況。親友に「あーん」されてお粥を食う高校男子。客観的に見たら完全にバカップルだ。
しかし、熱のせいか、それとも別の理由か、俺の顔はどんどん熱くなっていった。
スプーンを差し出す星野の顔が近い。真剣な眼差し、ほんのり赤らんだ頬、そして、俺を気遣う優しい声。
(……ダメだ。これ以上こいつの顔見てたら、心臓が爆発する)
「……ごちそうさま。もう腹いっぱいだ。サンキュー」
俺がそう言うと、星野は満足そうに頷き、食器を片付けにキッチンへ戻った。
その後、彼女は氷枕を替えたり、汗を拭くタオルを用意したりと、甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれた。
「お前、意外と世話焼きなんだな……」
「悠真がいつも私の面倒見てくれてるから、その恩返し。……それに」
星野はベッドの端に座り、ぽつりと呟いた。
「悠真が苦しそうにしてるの、なんか、私まで胸が痛くなっちゃってさ」
その言葉に、俺の心臓が大きく跳ねた。
星野の顔を見ると、彼女も自分の言った言葉に照れたのか、顔を真っ赤にして視線を逸らしていた。
静かな部屋に、時計の秒針の音だけが響く。
いつもなら、ここで俺が茶化して、彼女がツッコんで、笑い合って終わるはずだ。
でも、今は茶化す気になれなかった。
(……認めるしかないな、こりゃ)
熱のせいにして誤魔化すのは、もう限界だった。
一緒にいると楽しくて、他の奴に取られるのが嫌で、看病されてこんなに胸がドキドキする。
これはもう、「最高の親友」なんて便利な言葉で括れる感情じゃない。
俺は、星野結愛という一人の女の子に、完全に恋をしている。
「……結愛」
無意識に、下の名前で呼んでいた。
「ん……?」
星野が驚いたようにこちらを見る。
「……サンキューな。お前がいてくれて、よかった」
俺が素直にそう伝えると、星野は一瞬目を丸くした後、ふにゃりと柔らかく笑った。
「どういたしまして。……ゆっくり休んでね、悠真」
その笑顔を見て、俺は決意した。
この「親友」というバグった関係を、正常な状態にアップデートする時が来たのだと。

12月。街は完全にクリスマス一色に染まっていた。
「うわー! 綺麗! 悠真、見て見て! あのツリーめっちゃ大きい!」
駅前の広場。色鮮やかなイルミネーションが輝く中、星野がはしゃいだ声を上げながら俺の袖を引っ張った。
「はいはい、見てる見てる。はぐれるから引っ張んなって」
「もう、テンション低いなー。せっかくのクリスマス・イブなんだから、もっとウキウキしなさいよ!」
「親友同士でイブにイルミネーション見に来てる時点で、十分テンションおかしいだろ俺たち」
俺はため息をつきながら周囲を見渡した。
右を見ても左を見ても、腕を組んで歩くカップル、カップル、カップル。
その中で、俺と星野だけが微妙な距離感を保ちながら歩いている。
「いいじゃない! 暇な親友同士、傷を舐め合おうって約束したでしょ!」
星野はそう言って笑うが、その笑顔はどこかぎこちない。
風邪の看病をされて以来、俺たちの中には明確な「変化」があった。
会話のテンポは相変わらず漫才のようだが、ふとした瞬間に視線が絡んだり、手が触れそうになったりすると、お互いに不自然なほど意識してしまうようになったのだ。
今日、この場所に星野を誘ったのは俺だ。
「暇ならイルミネーションでも見に行くか」という軽いノリを装ったが、俺の中ではすでに答えは出ている。
今日、俺はこの「親友」という関係を終わらせる。
広場の中心にある巨大なクリスマスツリーの前まで来た時、星野がふと足を止めた。
「……ねえ、悠真」
「ん?」
星野はツリーの光を見上げたまま、ぽつりと呟いた。
「周り、本当にカップルばっかりだね」
「そりゃそうだろ。イブだぞ」
「……なんかさ、私たち、場違い感すごいよね」
「まあな。俺たち、ただの親友だしな」
俺があえて「親友」という言葉を強調して言うと、星野の肩がぴくりと揺れた。
彼女は俯き、俺のコートの袖をきゅっと強く握りしめた。
「……いつまで、なのかな」
「え?」
「私たち……いつまで『親友』のままなのかなって、最近ずっと考えてた」
星野の声は震えていた。いつもの強気な彼女はそこにはいない。
「悠真と一緒にいると、すごく楽しくて、安心する。でも……それだけじゃ、足りなくなってきちゃった。悠真が『親友』って言うたびに、チクって胸が痛くなるの」
彼女は顔を上げ、潤んだ瞳で俺をまっすぐに見つめた。
「悠真は……私のこと、ずっと親友のままがいい……?」
その問いかけに、俺は深く息を吸い込んだ。
そして、彼女の握る手をそっと解き、代わりにその小さな手を俺の右手でしっかりと包み込んだ。
「……バカ。俺がずっと親友でいいなんて思ってるわけないだろ」
「え……?」
「俺、お前のこと好きだわ。ツッコミ入れるのも、飯食うのも、お前とじゃないと満足できない体になった」
星野は目を丸くし、ポカンと口を開けた。
「俺たち、今日で親友やめようぜ。これからは……俺の彼女になってくれ」
静寂が落ちた。
周囲の喧騒が、まるで遠くの世界の出来事のように聞こえなくなる。
星野はしばらく固まっていたが、やがて顔を真っ赤にし、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「……っ、なにそれ! 告白のセリフとしては、全然ロマンチックじゃない! 0点なんですけど!」
「悪かったな、ムードメーカーじゃなくて! ていうか泣くなよ、俺がいじめてるみたいになるだろ!」
「だってぇ……! 嬉しかったんだもん……! 遅いよ、バカ悠真……私、ずっと待ってたのに……!」
星野は俺の胸に飛び込み、ぐりぐりと頭を押し付けてきた。
「私も……悠真が好き。大好き! 親友の枠なんか、とっくにぶっ壊したかった!」
俺は照れ隠しに彼女の頭をポンポンと叩きながら、どうしようもなく頬が緩むのを感じた。
「じゃあ、これからは恋人同士だな。……お互い、漫才のボケとツッコミは継続でいいか?」
「当たり前でしょ! 恋人になったからって、私のボケに手を抜いたら許さないからね!」
「へいへい。覚悟しとくよ」
イルミネーションの光の下、俺たちは「最高の親友」から「最高の恋人」へと、関係性をアップデートしたのだった。
年が明け、3学期が始まった。
冬休みの間、俺と星野は「恋人」として初詣に行ったり、デートらしいデート(映画を見てゲーセンに行くという、いつもと変わらないコースだったが)を楽しんだりした。
そして今日、恋人同士になって初めての学校。
昼休み。俺たちはいつも通り、机をくっつけて弁当を広げていた。
「あーっ! 悠真、また私の卵焼き狙ってるでしょ!」
「バレたか。いや、今日のお前の弁当の卵焼き、めっちゃ美味そうだったからつい」
「ダメー! これは私が早起きして作った自信作なんだから!……でも、一口ならあげる」
星野はそう言うと、卵焼きを箸でつまみ、俺の口元に差し出してきた。
「はい、あーん!」
「……お前、教室でそれはハードル高すぎないか?」
「いいから! 彼氏の特権でしょ! ほら、あーん!」
周囲の視線を感じて顔が熱くなるが、彼女の満面の笑顔に逆らうことはできず、俺は大人しく口を開けた。
「……うまい」
「でしょー! ふふん、私の胃袋を掴む作戦は完璧ね」
「俺の胃袋はすでにブラックホール化してるけどな」
そんなやり取りをしていると、呆れ顔の田中がやってきた。
「お前らさぁ……」
田中は深々とため息をつきながら、俺たちを交互に見た。
「なんか、冬休み明けてからさらに距離感おかしくなってないか? つーか、その『あーん』はなんだよ。ついに付き合い始めたのか?」
俺と星野は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「ああ。実はな、俺たち……」
「ジャジャーン! 私たち、ついに親友から恋人にクラスチェンジしましたー!」
星野が俺の腕にギュッと抱きつきながら宣言する。
クラス中が「おぉー!」とどよめき、拍手が起こった。
「いや、お前ら絶対付き合ってると思ってたけどさ。結局、やってること自体は前と全然変わんねえじゃん」
田中の的確なツッコミに、俺は苦笑する。
「まあな。根本的な関係は変わってねえよ。こいつがボケて、俺がツッコむ。それが俺たちの日常だからな」
「そうそう! 悠真は私の最高の彼氏で、最高の親友(ブラザー)だからね!」
「だからブラザーはやめろって言ってんだろ」
俺が頭を小突くと、星野は「えへへ」と嬉しそうに笑った。
周りから見れば、俺たちは相変わらずうるさくて、漫才ばかりしているバカップルに見えるだろう。
「親友」だった頃と、目に見える変化は少ないかもしれない。
でも、机の下でこっそりと繋いだ手の温かさや、二人きりになった時に見せる彼女の甘えた表情。
それらは「恋人」になった俺だけが知っている、特別な特権だ。
「おい悠真、放課後ゲーセン行くぞ! 今日こそ私の新コンボでボコボコにしてやるんだから!」
「言ってろ。俺の鉄壁のガードを見せてやるよ」
「負けた方が今日のジュース奢りね!」
「望むところだ」
俺たちの会話は、出会ったあの日から何も変わらない。
でも、胸の奥にある想いは、あの頃よりもずっと深く、確かなものになっている。
「親友」で、「恋人」で、「最高のパートナー」。
俺と星野結愛の関係は、ここからが本当のスタートだ。
「……これからもよろしくな、結愛」
俺が小さな声で呟くと、繋いだ手にギュッと力が込められた。
「うんっ! よろしくね、悠真!」
俺たちのバグった距離感の日常は、これからもずっと、やかましく、そして最高に幸せに続いていく。
※全7章を一気に執筆いたしました。文字数はシステム制限の範囲内で最大限詳細に描写し、全体のテンポとボリューム感を両立させております。