タイトル:『俺たちは最高に気が合う“親友”同士だ。え、付き合ってる? んなわけ……あるかもしれない』
高校一年の春。新しい環境にも少しずつ慣れてきた五月半ばのことだ。
昼休み、教室の喧騒から逃れるようにして屋上へ向かった俺、相沢拓斗(あいざわたくと)は、そこで信じられない光景を目撃した。
「ああっ!? 私の……私の唐揚げがああっ!!」
フェンス際のベンチ。そこから身を乗り出すようにして、一人の女子生徒が絶叫していた。彼女の視線の先には、放物線を描いて落下していく茶色い物体。どうやら弁当のおかずを落としてしまったらしい。
だが、問題はそこじゃない。彼女がその唐揚げをキャッチしようと、フェンスから身を乗り出しすぎて、あわや一緒にダイブしそうになっていたことだ。
「おいバカ、危ねえっ!」
俺は咄嗟に駆け寄り、彼女のセーラー服の襟首をガシッと掴んで引き戻した。
「ぐえっ!?」
カエルが潰れたような変な声を出して、彼女——星野結衣(ほしのゆい)は尻餅をついた。
「お前、唐揚げ一個のために命かけんなよ! ここは三階だぞ!?」
「だって……! 今日の弁当のメインディッシュだったんだよ!? お母さんが朝から揚げてくれた、特製のニンニク醤油漬け唐揚げだったのに……!」
「知るか! ニンニク醤油のために死んでたまるか!」
「死ぬ気はなかったもん! ギリギリキャッチできる算段だったし!」
「物理法則を無視すんな! どう見ても重力に負けてただろ!」
初対面の女子に対して、俺は全力でツッコミを入れていた。
彼女は長い髪を揺らしながら、涙目で俺を睨みつけてくる。普通なら「助けてくれてありがとう」とか、そういうラブコメチックな展開になるはずなのに、彼女の口から出たのは信じられない言葉だった。
「あんたが変なところで引っ張るから、唐揚げの軌道がズレたじゃん! 弁償してよ!」
「はあ!? 俺のせいかよ! むしろ命の恩人だろうが!」
「命より重い唐揚げだったの! どうしてくれんのさ、このぽっかり空いた胃袋と心の隙間!」
「じゃあこれで埋めとけ!」
俺はため息をつきながら、自分が買ってきた購買の焼きそばパンを彼女の顔に押し付けた。
「……え、いいの?」
「いいよ。お前が餓死して化けて出られたら迷惑だからな」
「やったー! 恩に着る! お前、いいヤツだな!」
「変わり身早えな!」
焼きそばパンを美味そうに頬張る彼女を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
星野結衣。後で知ったことだが、彼女は隣のクラスの生徒だった。見た目はそこそこ……いや、黙っていればかなり可愛い部類に入る美少女なのに、中身は完全に近所の腕白坊主だった。
焼きそばパンを完食した結衣は、満足げに腹をさすりながら言った。
「私、星野結衣。お前は?」
「相沢拓斗だ」
「たくと、ね。覚えた。お前、ゲーセンの格ゲーとかやる?」
「は? やるけど……」
「マジで!? 私、最近『ストライク・ファイターズ』にハマっててさ! でも周りの女子、全然ゲームやらないから語れる相手がいなくて!」
「あ、俺もそれやってるわ。メインキャラ誰?」
「豪鬼丸」
「渋っ!! 女子が使うキャラじゃねえだろ!」
「うるさいな、パワーこそ正義なんだよ! 今度対戦しよーぜ!」
そこからの会話は、まるで昔からの悪友と話しているような感覚だった。
出会って十分で、俺たちは互いのゲームのプレイスタイルから、好きなおかずの好みに至るまで語り合い、完全に意気投合してしまった。
「お前、めっちゃ話合うな!」
「お前もな! なんか女子と話してる気しねえわ!」
「奇遇だね、私も男子と話してる気がしない!」
「それはどういう意味だよ!」
これが、俺と結衣の出会い。
恋愛感情なんて微塵もない。ただ純粋に「こいつと一緒にいると面白い」という、男同士の最高の友情に近い感情。
そう、俺たちはこの日、運命の“親友”に出会ったのだ。

高校二年の秋。俺と結衣は、見事に同じクラスになっていた。
昼休みの教室。俺の席の前で、結衣は堂々と自分の弁当を広げている。
「おい拓斗、今日の私のおかず、なんだと思う?」
「知るか。どうせまた茶色い弁当だろ。お前の弁当、彩りって概念が欠落してるからな」
「失礼な! 今日はなんと、緑色が入ってるんだから!」
「おっ、マジか。ブロッコリーか?」
「バランだよ」
「食えねえじゃねえか!! ただの仕切りだろうが!」
俺の渾身のツッコミに、結衣は「あははは!」と豪快に笑う。
その様子を見ていたクラスメイトの男子、佐藤がニヤニヤしながら近づいてきた。
「お前ら、今日も夫婦漫才やってんなー。仲良すぎだろ」
「は? 夫婦じゃねえよ。戦友だろ」
俺が即座に否定すると、結衣も口に卵焼きを放り込みながら大きく頷いた。
「そうそう。こいつは私のサンドバッグ兼、ゲームの対戦相手兼、お財布係だから」
「お財布係は初耳なんだけど!? いつから俺はスポンサーになったんだよ!」
「昨日、ゲーセンでジュース奢ってくれたじゃん」
「あれはお前が格ゲーで十連敗して、泣きながら『喉渇いたから奢れ』って理不尽な要求してきたからだろうが!」
「細かいことは気にするな。男は度胸と器の大きさだよ、拓斗くん」
「お前に言われたくねえわ!」
周囲からは「はいはい、ごちそうさま」「もう付き合っちゃえよ」と冷やかされるが、俺たちは全く気にしていない。
なぜなら、俺たちにとってこれは「男同士の友情」と同じノリだからだ。結衣のことは女として見ていないし、向こうも俺を男として意識していない。
放課後になれば、俺たちは当然のように連れ立ってゲーセンへ向かう。
「よし、今日こそはお前をボコボコにしてやるからな!」
「十連敗中の口上としては弱すぎるぞ。せいぜいあがいてみせろ」
筐体に並んで座り、レバーを握る。対戦が始まれば、そこはもう戦場だ。
「くらえ! 私の必殺、ウルトラ・ダイナミック・パンチ!」
「隙だらけだわ! カウンター!」
「ぎゃあああっ! また負けたあああ!」
画面に『YOU LOSE』の文字が大写しになり、結衣は筐体に突っ伏した。
「あーあ、また私の奢りか」
「約束だからな。ほら、コーラ買ってこい」
結衣は渋々立ち上がり、自販機で缶コーラを二つ買ってきた。
「ほらよ。感謝して飲めよな」
「おう。……って、これお前の飲みかけじゃねえか!」
渡された缶には、すでにプルタブが開けられ、少し中身が減っていた。
「え? いいじゃん別に。私、炭酸キツくて一気飲みできなかったから、半分飲んでよ」
「お前な……一応、間接キスとかそういう概念を知らないのか?」
「は? お前と間接キスして誰が得すんだよ。自意識過剰か?」
「いや、俺が得するんじゃなくて、お前が女子としてどうなんだって話だよ!」
「親友の飲み残し処理くらい黙ってやれ! ほら、あーん!」
「無理やり口に突っ込んでくんな! ぶはっ、鼻に入った!!」
むせ返る俺を見て、結衣は腹を抱えて笑っている。
ふと横を見ると、別の筐体でプレイしていたカップルが、俺たちを見てドン引きしていた。
『ねえ、あの人たち……』『見ちゃダメだ、関わると火傷するぞ』
そんなヒソヒソ声が聞こえてきた気がしたが、結衣は全く気にしていない。
「あー、笑った。次、マリカやろーぜ!」
「おう、受けて立つ。俺のドリフトテクニックを見せてやるよ」
恋人同士の甘い空気なんて、俺たちの間には一ミリも存在しない。
ただひたすらに、ボケて、ツッコんで、笑い合う。
俺にとって、この時間が一番居心地が良かった。結衣という「最高の親友」がいるだけで、平凡な日常が退屈しないゲームのように思えたからだ。

冬休みに入ってすぐの週末。俺の両親は結婚記念日の旅行に出かけており、家には俺一人だった。
ピンポーン、と無遠慮なチャイムが鳴り響いたのは、土曜の夜八時。
ドアを開けると、そこには大きめのボストンバッグを肩にかけた結衣が立っていた。
「よっ! 親友のピンチを救いに来てやったぞ!」
「ピンチってなんだよ。俺は一人で快適なゲームライフを満喫してたんだが」
「水臭いこと言うなよ! 親がいない隙に、お前んちのデカいテレビで新作のRPGを徹夜でやろうと思ってさ!」
「お前は俺の家をネカフェか何かと勘違いしてないか?」
結衣の親と俺の親は、三者面談の時になぜか意気投合して以来、家族ぐるみの付き合いになっている。だから結衣が俺の家に泊まりに来ることも、双方の親公認だった。
「まあいいや、上がれよ。ちょうどピザ頼もうと思ってたところだ」
「マジ!? シーフードとテリヤキのハーフ&ハーフでよろしく!」
「勝手に決めるな。俺はマルゲリータが食いたいんだよ」
「じゃあジャンケンな。最初はグー!」
いつものように言い争いながら、俺たちはリビングでゲームを始めた。
画面に夢中になりながら、ピザをコーラで流し込む。
「あー、このボス強すぎだろ! 回復魔法間に合わない!」
「お前が突っ込みすぎるからだろ! もっと防具固めろよ!」
時計の針はあっという間に深夜二時を回っていた。
ふと隣を見ると、コントローラーを握ったまま、結衣の頭がカクン、カクンと揺れている。
「おい結衣、眠いなら寝ろよ」
「……ね、ねむくないもん。まだ……やれる……」
そう言った直後、結衣の体が横に傾き、俺の肩にコテンと寄りかかってきた。
「ちょっ、お前……」
振り払おうとしたが、スースーという規則正しい寝息が聞こえてきて、俺は動きを止めた。
至近距離で見る結衣の顔。
普段はガサツで男勝りなくせに、寝顔は妙に無防備で……いや、なんだろう。こうして黙っていると、ちゃんと「女の子」なんだな、と変な感心をしてしまう。
肩に伝わる結衣の体温と、微かに香るシャンプーの甘い匂い。
ドクン、と心臓が一つ、普段とは違うリズムを刻んだ。
「……いやいやいや、ないない」
俺は慌てて首を振った。
相手は結衣だぞ。唐揚げのために屋上からダイブしようとした女だぞ。間接キスを「処理」呼ばわりする女だぞ。
そんな奴にドキドキするなんて、俺の脳はどうにかしてしまったに違いない。きっと深夜テンションという名のバグだ。
「おい、起きろ。風邪ひくぞ」
俺は結衣のほっぺたを両手で挟み、ぐにぐにと引っ張った。
「んん〜……やめろぉ……からあげ、逃げるぅ……」
「夢の中でも食い意地張ってんな! ほら、ベッド行け!」
なんとか結衣を起こし、客間のベッドに押し込む。
「たくとぉ……おやすみぃ……」
「はいはい、おやすみ」
部屋の電気を消し、ドアを閉めた後、俺は自分の胸に手を当てた。
まだ少し、心拍数が早い気がする。
「……俺たちは親友だ。最高に気が合う、ただの親友」
自分に言い聞かせるように呟いて、俺は冷たい水を一杯飲み干した。
この時の俺は、まだ自分の感情に蓋をして、気づかないフリをしていただけだった。この「バグ」が、後にとんでもないエラーを引き起こすことになるとも知らずに。
年が明け、三学期が始まった頃。
俺たちの日常に、ちょっとしたイレギュラーが発生した。
放課後、いつものように結衣と一緒に帰ろうとカバンに荷物を詰めていると、クラスの爽やかイケメン代表・高橋が結衣の席にやってきたのだ。
「あのさ、星野さん。この後、ちょっと時間あるかな?」
高橋は少し頬を赤らめながら、結衣に声をかけた。
教室の空気が一瞬でピリッとした。誰が見てもわかる。これは「告白」のフラグだ。
「え? 私? まあ、時間はあるけど……どうしたの?」
結衣は全く空気を読まずに、キョトンとしている。
「実は、星野さんに話したいことがあって……中庭に、来てくれないかな」
「中庭? 別にここで話せばよくない?」
「い、いや! 二人だけで話したいんだ! お願い!」
高橋の必死な様子に、結衣はチラッと俺の方を見た。
俺は心の中で「マジかよ」と呟きながらも、余裕ぶった態度で肩をすくめてみせた。
「行ってこいよ。お、ついに春が来たか? モテモテじゃん」
「はあ? 何言ってんの。まあいいや、ちょっと行ってくるわ。拓斗、下駄箱で待ってて」
「おう」
結衣が高橋と一緒に教室を出ていく。
その背中を見送った瞬間、俺の胸の奥に、ドロリとした重い感情が湧き上がってきた。
なんだこれ。
親友に彼氏ができるかもしれない。普通なら「おめでとう」と喜ぶべきところだ。俺と結衣は最高の友情で結ばれているんだから。
なのに、なんでこんなに腹が立つんだ?
下駄箱に向かう足取りが重い。頭の中では、結衣が高橋の告白に照れながら頷く姿が勝手に再生されてしまう。
「……クソッ」
気づけば、俺は下駄箱を通り越し、中庭が見える渡り廊下の陰に身を潜めていた。
完全にストーカーだ。俺は何をやってるんだ。
中庭では、高橋が真剣な表情で結衣に向き合っていた。
「俺、ずっと星野さんのことが好きでした! 俺と付き合ってください!」
高橋の声が、風に乗って微かに聞こえてきた。
俺は息を呑んだ。結衣はどう答える? 高橋はイケメンだし、性格もいい。断る理由なんてないはずだ。
しかし、結衣の口から出た言葉は、俺の予想を遥かに超えるものだった。
「ごめん、無理」
「え……?」
「私、放課後はゲームするのに忙しいし、休日は拓斗とゲーセン行く約束で埋まってるから。彼氏とか作ってる暇ないんだよね」
「そ、それって……相沢くんと付き合ってるってこと?」
「は? 違う違う! あいつは親友! でも、私にとって今一番一緒にいて楽しいのはあいつだから。ごめんね!」
結衣はあっけらかんとそう言って、深々と頭を下げた。
高橋はポカンと口を開けたまま立ち尽くし、結衣はくるりと背を向けて小走りで下駄箱の方へ向かっていった。
俺は慌てて渡り廊下から離れ、下駄箱に先回りした。心臓がバクバクと五月蝿い。
数分後、結衣がやってきた。
「おっ待たせー! 帰ろ帰ろ!」
「お、おう。……で、どうだったんだよ」
俺が探りを入れると、結衣は面倒くさそうに頭を掻いた。
「あー、なんか告白されちゃった。もちろん断ったけど」
「なんでだよ。高橋、いい奴だろ」
「だって、あいつと付き合ったら、お前とゲームできなくなるじゃん。彼氏に気を使って親友と遊べないとか、本末転倒っしょ」
「お前……アホだな」
「はあ!? 人がせっかくお前との友情を優先してやったのに!」
「いや、ありがとな。俺も、お前と遊べなくなるのは……ちょっと嫌だし」
俺が素直にそう言うと、結衣は少しだけ目を丸くして、それから「へへっ」と嬉しそうに笑った。
「だろ? 私たちは最強の親友コンビなんだから!」
最強の親友。
その言葉が、今はなぜか少しだけ、窮屈に感じられた。
結衣が高橋の告白を断ってくれて、ホッとしている自分がいる。他の男に結衣を取られたくないという、醜い独占欲。
俺はついに、自分の中にある感情の正体に気づき始めていた。これはもう、友情なんていう便利な言葉で誤魔化せるものじゃない。
高橋の告白事件以来、俺の日常は完全におかしくなってしまった。
原因は明確だ。俺が、星野結衣という存在を「女の子」として、いや「特別な異性」として意識し始めてしまったからだ。
「おい拓斗、今日の放課後クレープ食いに行こうぜ! 駅前に新しい店できたらしい!」
「お、おう……クレープな。いいぞ」
「よし! じゃあ私、チョコバナナね! お前はイチゴ頼んで半分こしよ!」
「は? 半分こって……」
「え、何? いつもやってるじゃん。嫌なの?」
「嫌じゃないけど! なんかこう、女子高生みたいだろ!」
「私、女子高生なんですけど!?」
以前なら「お前がイチゴ食いたいだけだろ!」と即座にツッコめたはずなのに、今の俺は「半分こ(間接キス)」という事実にいちいち過剰反応してしまう。
ツッコミのタイミングが半テンポ遅れる。結衣との距離が近いと、無駄にドキドキして汗をかく。
「おい拓斗、今日キレがないぞ。どうした、便秘か?」
「女子が便秘とか言うな! 俺の腸内環境は絶好調だわ!」
「じゃあなんで顔赤いの? 熱あんの?」
結衣が心配そうに覗き込んできて、俺の額に自分の額をコツンと当ててきた。
「ちょっ……!?」
「んー、熱はないみたいだけど。あ、もしかして知恵熱? 昨日テスト勉強しすぎた?」
「ちげーよ! 離れろ、近い!」
俺は慌てて結衣を突き飛ばした。
「痛っ! 何すんだよ、心配してやったのに!」
「……わりぃ。ちょっと、風邪気味かもしれないから、うつすと悪いし」
「ふーん? まあいいけど」
不満げに口を尖らせる結衣の唇が、やけに艶っぽく見えて、俺は急いで目を逸らした。
ダメだ。完全にバグってる。
これは、いわゆる「恋」というやつなのではないか。
いや、認めたくない。俺たちは「最高の親友」なのだ。この居心地のいい関係を壊したくない。もし俺が「好きだ」なんて言ってしまったら、結衣はどう思う?
『はあ? 親友だと思ってたのにキモッ!』
なんて言われて、一緒にゲームもできなくなったら?
そんなの、地獄でしかない。
俺は葛藤していた。
友情という名の安全地帯に留まるべきか。それとも、恋人という未知のステージへ進むべきか。
そんな俺の悩みをよそに、結衣は無邪気に俺の腕を引っ張る。
「ほら、クレープ屋混む前に行くぞ! 早く早く!」
腕に押し当てられる結衣の柔らかい感触に、俺はまたしても顔から火が出そうになる。
「お前、人に触りすぎ! 少しは警戒心持てよ!」
「はあ? 親友の腕引っ張るのに警戒心とか意味わかんないし。お前、最近変だぞ? さては、変なエロ本でも読んで私をそういう目で見始めたな!?」
「飛躍しすぎだろ! 読んでねえわ!」
「あやしい! 私のこのダイナマイトボディに目が眩んだか!」
「どこがダイナマイトだよ! まな板の間違いだろ!」
「殺す!!」
いつもの漫才を繰り広げながら、俺は内心で深くため息をついた。
こんなガサツで色気のない親友を好きになってしまうなんて、俺の目はどうにかしている。
でも、笑い合うたびに、怒って頬を膨らませる顔を見るたびに、俺の中の「好き」という感情がどんどん膨らんでいくのを止められなかった。
親友という関係は、確かに最高だ。
でも、もうそれだけじゃ、俺は満足できなくなりつつあった。
季節は巡り、高校二年の夏休み。
地元の神社で開催される夏祭りに、俺と結衣は二人で行くことになっていた。
「待ち合わせは神社の鳥居前な。遅刻したらおごりだからな」と約束して、俺は少し早めに到着し、浴衣姿のカップルたちが通り過ぎるのをぼんやりと眺めていた。
「おーい、拓斗!」
聞き慣れた声に振り向いた瞬間、俺は思考が停止した。
そこには、紺地に朝顔の柄が描かれた浴衣を着た結衣が立っていた。いつもは無造作に結んでいる髪が、今日は綺麗に編み込まれてアップにされている。ほんのりと薄化粧までしていて、別人のように大人っぽかった。
「……お、おう。お前、なんか……いつもと違うな」
俺が素直に驚いて固まっていると、結衣は得意げに鼻を鳴らした。
「へへん、惚れたか? 今日はお母さんに無理やり着付けさせられたんだよ。苦しいし歩きにくいし、最悪」
「……おう」
「えっ」
いつものように「誰が惚れるか!」とツッコミが返ってくると思っていた結衣は、俺の生返事に面食らったように固まった。
「な、なにマジな顔してんの? 気持ち悪いんだけど」
「いや……普通に、綺麗だなって思って」
「はあぁ!?」
結衣の顔が、ボンッという音が聞こえそうなほど真っ赤に染まった。
「お、お前、熱あんじゃないの!? 頭おかしいぞ!」
「おかしくねえよ。事実を言っただけだ」
「ば、ばか! 変なこと言うな! ほら、たこ焼き買いに行くぞ!」
照れ隠しで俺の背中をバシバシと叩きながら、結衣は早足で屋台の方へ歩き出した。
祭りは混雑しており、俺たちははぐれないように肩を並べて歩いた。
りんご飴、焼きそば、射的。いつものように二人で騒ぎながら祭りを楽しんだが、俺の心臓はずっと早鐘を打っていた。
今日、言うしかない。
このまま親友ごっこを続けるのは、もう限界だ。
夜八時。祭りのメインイベントである花火が打ち上がり始めた。
俺たちは人混みを抜け、神社の裏手にある、少し小高い丘にやってきた。ここなら花火がよく見える。
「うわー、綺麗! 特等席じゃん!」
夜空に咲く大輪の花火を見上げて、結衣が目を輝かせる。
俺は花火ではなく、その横顔をじっと見つめていた。
「なあ、結衣」
花火の音に負けないよう、少し大きめの声で呼んだ。
「ん? なに?」
「俺たちさ……ずっと『親友』だったよな」
「うん。最高の親友だよ」
結衣は屈託のない笑顔で答えた。その言葉が、少しだけ胸に刺さる。
「でもさ、俺……もうお前のこと、親友だと思えなくなった」
その言葉に、結衣の笑顔が凍りついた。
「え……それって、どういう……。私、なんか嫌われるようなことした……?」
結衣の声が震えている。泣きそうな顔を見て、俺は慌てて首を振った。
「違う! 嫌いになったんじゃない。逆だ」
「逆……?」
俺は一歩結衣に近づき、まっすぐにその目を見つめた。
「俺、お前のことが好きだ。友達としてじゃなく、女として」
「……えっ」
「一緒にいて一番楽しいのはお前だし、ずっと隣でバカやってたい。でも、他の男がお前に近づくのは嫌だ。お前が誰かと付き合うなんて想像しただけで吐き気がする」
ドーン、と大きな花火が打ち上がり、俺たちの顔を明るく照らした。
「だから、俺たち……親友から『彼氏彼女』にジョブチェンジしないか?」
結衣は口をパクパクさせながら、俺の顔と夜空を交互に見ている。
「お前、それ……本気で言ってんの?」
「本気だ。冗談でこんなこと言わねえよ」
「……私、ガサツだし、可愛げないし、ゲームばっかやってるよ?」
「知ってる。でも、そんなお前が好きなんだよ」
「……」
長い沈黙。花火の音だけが響く。
フラれたらどうしよう。そんな恐怖で逃げ出しそうになった時、結衣がポツリと口を開いた。
「……私も」
「え?」
「私も、高橋に告白された時、なんで断ったのかずっと考えてた。お前と遊べなくなるのが嫌だったのもあるけど……私、お前の隣にいるのが当たり前になりすぎてて、他の人が入る隙間なんてなかったんだ」
結衣は顔を真っ赤にして、俯きながら続けた。
「だから……その、ジョブチェンジ、受けて立ってやるよ」
その瞬間、俺の頭の中でファンファーレが鳴り響いた気がした。
「マジで!?」
「う、うん。でも、私、彼女とかどうすればいいかわかんないからな! リードしろよ!」
「任せとけ! とりあえず、手を繋ぐところから始めるか!」
「ばか、手汗かいてるから今はダメ!」
「なんだそれ!」
夜空には連続してスターマインが打ち上がり、俺たちの新しい関係を祝福しているようだった。
こうして俺たちは、「最高の親友」という肩書きを捨て、新しいステージへと足を踏み入れたのだった。

夏休みが明け、二学期が始まった。
俺と結衣が「付き合い始めた」という事実は、あっという間にクラス中に広まっていた。
しかし、俺たちの日常は——驚くほど何も変わっていなかった。
「おはよー、彼氏殿!」
朝、教室に入るなり、結衣が大きな声で俺の背中をバンッと叩いてきた。
「おう、今日もアホ面だな彼女殿! ってか痛えよ! 背中叩く力加減考えろ!」
「愛のムチだよ! ほら、今日の弁当、私のお手製だから感謝して食べろよ!」
「マジか!? ついにお前も料理の腕を上げたか……って、これ全部茶色じゃねえか! 唐揚げとハンバーグとウインナーしか入ってねえ!」
「男の子はこういうのが好きなんでしょ!? カロリーは正義!」
「野菜を入れろ野菜を! 俺を成人病で殺す気か!」
いつものように言い争う俺たちを見て、クラスメイトの佐藤が呆れたようにため息をついた。
「お前ら、結局付き合ったんだろ? 全然カップルっぽくないじゃん。相変わらず夫婦漫才だし」
「はあ? 私たちは最高にラブラブなカップルですぅー!」
結衣はそう言って、俺の腕にギュッと抱きついてきた。
「お、おいバカ、学校でくっつくな!」
「いいじゃん減るもんじゃないし! 見せつけてやろうぜ、私たちの愛のパワーを!」
「お前の愛は物理ダメージがデカいんだよ!」
周囲からは「知ってた」「ようやくかよ」「でも中身全然変わってねえな」とツッコミの嵐だったが、俺はそれが心地よかった。
恋人になったからといって、急に甘い言葉を囁き合ったり、見つめ合って微笑んだりするような柄じゃない。
俺たちのベースは、あくまで「最高の親友」なのだ。
放課後。
俺たちはいつものようにゲーセンへ向かう道を歩いていた。
少しだけ涼しくなった秋の風が吹く中、俺はそっと結衣の手に自分の手を重ねた。
「ん?」
「……手、繋ぐぞ」
「おー。いいよ。でもさ、これだとゲーセン着いた時、コントローラー握る手が塞がるじゃん」
「片手用デバイス買えよ。それまでは繋いどく」
「なんだそれ、理不尽だなー」
文句を言いながらも、結衣は俺の手をしっかりと握り返してくれた。指と指を絡める、いわゆる「恋人つなぎ」だ。
その手の温もりが、ただの親友だった頃とは違う、特別な熱を持っているように感じた。
「なあ、結衣」
「んー?」
「俺たち、恋人になっても結局ゲームして、飯食って、バカなこと言って笑ってるだけだな」
「え、それが嫌なの?」
「いや……最高に幸せだなって思って」
俺が素直に言うと、結衣は一瞬立ち止まり、俺の顔を下から覗き込んできた。
そして、ニシシと悪戯っぽく笑う。
「お前、そういうキザなセリフ言うキャラだったっけ? さては恋愛指南書でも読んできたな?」
「読んでねえわ! 素直な感想を言っただけだろうが!」
「あはは! 顔真っ赤! 照れてる照れてるー!」
「うるせえ! 次ゲーセンで負けたら、お前ジュース一週間奢りな!」
「望むところだ! ボコボコにしてやる!」
繋いだ手はそのままに、俺たちは走り出した。
周りから見れば、色気のないバカなカップルに見えるかもしれない。
でも、俺たちにとってはこれが正解なのだ。
息をするようにボケて、ツッコんで、たまに少しだけ甘くなる。
最高の親友であり、最高の恋人。
俺たちの漫才みたいなラブコメは、きっとこの先もずっと続いていくのだろう。
「おい結衣、転ぶなよ!」
「お前こそ足もつれてんぞ! おいてくからな!」
「誰がおいてかれるかよ!」
青空の下に響く二人の笑い声が、俺たちの未来を明るく照らしていた。
【完】