タイトル:『俺とアイツは最高に気が合う“親友”だ。周りは「早く結婚しろ」ってうるさいけど』
「おい相沢、お前それ……『ブラッド・ファイター2』の攻略本じゃん。しかも、なんでガイルじゃなくてザンギエフのコンボのページ熟読してんの?」
高校に入学して一週間が経った春の日の昼休み。桜の花びらが窓の外を舞う中、俺――相沢拓海(あいざわたくみ)がひっそりと机の下で読んでいたマニアックな格闘ゲームの攻略本に、隣の席の女子が唐突に食いついてきた。
彼女の名前は星野結衣(ほしのゆい)。肩口で切り揃えられたショートボブの髪に、ぱっちりとした大きな瞳。黙っていれば美少女の部類に入るのだろうが、初日から机に突っ伏して爆睡をかまし、教師にチョークを投げられても見事にキャッチするという離れ業をやってのけた、色んな意味で目立つ女子だった。
「は? なんで女子のお前がブラファイを知って……いや、それより俺の愛用キャラ(ザンギエフ)を馬鹿にしたか今?」
「馬鹿にはしてないけど、渋いチョイスだなと思ってさ。アタシなんて春麗(チュンリー)一筋で、去年の全国大会の地区予選まで行ったし」
「マ、マジで!? お前、ランカーなのかよ!」
「ふふん、伊達にゲーセンに小遣い全額貢いでないからね。どう? 放課後、駅前のゲーセンでアタシと一戦交えてみる?」
「上等だ! 俺のスクリューパイルドライバーで、お前の春麗を地獄の底に沈めてやるよ!」
入学したばかりの高校で、まさかこんなニッチな趣味を共有できる相手が見つかるとは思っていなかった。しかもそれが、隣の席の女子だなんて。
その日の放課後、俺たちは本当に駅前のゲームセンターに直行した。薄暗い店内、電子音が鳴り響く中、向かい合わせの筐体に座る。
「いくぞ星野! 手加減はしねえからな!」
「こっちのセリフだよ相沢! 泣いて謝っても許さないからね!」
結果から言うと、俺はボコボコにされた。1ラウンドも取れず、パーフェクト負けの連続。俺のザンギエフは、彼女の春麗の圧倒的なスピードと的確なコンボの前に、一度も触れることすらできずに沈んだ。
「ぐはぁっ……! つ、強すぎる……お前、マジで何者だよ……」
「あはは! 相沢のザンギ、動きが直線的すぎるんだよ! でも、ガードのタイミングは悪くなかった。あと一歩ってとこかな」
負けた悔しさはあったが、それ以上に、本気でゲームを語り合える相手ができたことが嬉しかった。
その後、俺たちはゲーセンの近くにあるボロボロのラーメン屋に入った。豚骨の匂いが充満するカウンター席で、俺たちはラーメンをすすりながら、ひたすらゲームやアニメ、漫画の話で盛り上がった。
好きな作品の傾向も、許せない展開の解釈も、驚くほど一致した。まるで昔から一緒にいるような錯覚に陥るほど、話のテンポが噛み合うのだ。
「お前、分かってるな! あのシーンで主人公が覚醒するのは邪道だよな!」
「そうそう! あそこは一度徹底的に敗北して、泥水をすするべきなんだよ!」
「星野……お前、マジで最高だわ」
「相沢もね。アタシたち、めっちゃ気が合うじゃん」
ラーメンのスープを飲み干した結衣が、ニカッと笑って右手を差し出してきた。油で少しテカった口元と、無防備な笑顔。俺は迷わずその手を握り返した。
「今日からお前は、俺の最高の親友だ!」
「おう! よろしくな、相棒!」
これが、俺と結衣の「親友関係」の始まりだった。恋だの愛だの、そんな甘っちょろい感情が入る隙間なんて一ミリもない、魂と魂が共鳴した、男同士の友情にも似た絶対的な絆。俺たちはそう信じて疑わなかった。
高校2年の秋。俺たちの「親友関係」は、周囲が呆れるほど強固なものになっていた。
放課後になれば当然のように一緒に帰り、休日はどちらかの部屋に入り浸ってゲームをするか、近所のファミレスで延々と駄弁る。それが俺たちの日常だった。
「見ろ拓海! メロンソーダにカルピスと烏龍茶、さらにタバスコを少々加えた、名付けて『地獄の底から這い上がってきたカエル』だ! 飲んでみろ!」
「ネーミングセンス皆無かよ! つーかタバスコ入ってんじゃねえか! 誰がそんな劇薬飲むか!」
いつものファミレス。窓際の席で、結衣が悪魔のような笑みを浮かべながら、毒々しい緑色の液体が入ったグラスを俺に突きつけてきた。
「親友の愛情たっぷりだぞ? これを飲めば、明日の小テストのヤマもバッチリ当たる!」
「当たるのはヤマじゃなくて腹だろうが! 頼むから普通の飲み物を持ってきてくれ……」
「ちぇー、つまんないの」
結衣はストローでその劇薬を一口すすり、「うげっ、まっず」と顔をしかめた。自業自得である。
そんなアホなやり取りをしていると、クラスメイトの佐藤が偶然店に入ってきて、俺たちのテーブルの横を通りかかった。
「お、相沢と星野じゃん。お前ら、相変わらず毎日一緒にいてラブラブだなー」
佐藤がニヤニヤしながらそう言った瞬間、俺と結衣は顔を見合わせ、ピタリと声を揃えて言い放った。
「「は? ないないない!」」
あまりにも綺麗なハモリに、佐藤がビクッと肩を揺らす。
「いや、どう見てもお前ら付き合ってるようにしか見えないんだけど。休日も二人で出かけてるらしいじゃん」
「佐藤、お前は本当に何も分かってないな。目ぇ腐ってんのか?」
「そうそう。アタシと拓海はね、魂で繋がった戦友(マブ)なの。色恋沙汰なんていう、安っぽくてドロドロした感情で括らないでくれる?」
「……いや、戦友ってなんだよ。お前ら普通に同じ高校の生徒だろ」
「佐藤にはこの崇高な絆が理解できないようだな。結衣、あいつのポテトを一本奪ってやれ」
「了解、相棒。……あ、うま」
結衣は俺の皿から山盛りのフライドポテトを二、三本つまみ、平然と口に運んだ。俺も結衣が頼んだ唐揚げを一つ、フォークで突き刺して食べる。
「おい拓海! アタシの唐揚げを勝手に食うな!」
「そこに唐揚げがあったからさ。登山家もそう言ってるだろ?」
「言ってねえよ! 山と揚げ物を一緒にすんな! 等価交換の法則を無視する気か!」
「まあまあ、親友のよしみで許してくれたまえ。代わりに俺のブロッコリーをくれてやる」
「いらねえよ! そもそも唐揚げとブロッコリーじゃレートが合ってないだろ!」
俺たちの漫才のようなやり取りを目の当たりにした佐藤は、深くため息をつき、頭を抱えた。
「……お前ら、それ無自覚でやってんの? 他の奴の皿から自然におかず奪い合うとか、完全に熟年夫婦の距離感なんだけど……」
「はあ? 夫婦? お前、本当に病院行った方がいいぞ」
「アタシたちが夫婦とか、想像しただけで鳥肌立つわー。ねー」
「全くだ。俺はお前みたいなガサツな女、絶対に無理だからな」
「アタシだって、お前みたいなデリカシー皆無のゲームオタクはお断りだよ!」
俺たちがゲラゲラ笑い合っていると、佐藤は「もう勝手にしろ……」と呟いて、自分の席へと向かっていった。
俺たちは顔を見合わせ、再び笑い合う。
付き合ってる? 恋人? 馬鹿馬鹿しい。俺たちは誰よりも気が合う「最高の親友」なのだ。男女の間に友情は成立しないなんて言う奴は、俺たちのこの完璧な関係性を見れば、すぐに考えを改めるに違いない。

冬の足音が聞こえ始めた11月の終わり。俺は季節の変わり目に見事にやられ、高熱を出してベッドでダウンしていた。
両親は共働きで帰りが遅く、静まり返った部屋で一人、天井の木目を数えながら「このまま俺は一人で孤独に死んでいくのだろうか……」などと大げさなことを考えていた、その時だった。
ガチャリ、と玄関のドアが開く音がした。
「よーっす! 拓海、生きてるかー!?」
ドタドタという足音と共に、俺の寝室のドアが勢いよく開け放たれた。そこには、スーパーのレジ袋を両手に下げた結衣の姿があった。
「お前……なんで俺の家に……つーか、なんで鍵空いて……」
「あ? 前に『なんかあった時用』って合鍵渡されただろ。親友のピンチと聞いて駆けつけない奴がいるかよ」
そう、以前俺が家の鍵をなくして締め出された時、予備の鍵を「お前なら失くさないだろうから」と結衣に預けたのだった。まさかこんな風に勝手に入ってくるとは思わなかったが。
「つーかお前、顔真っ赤じゃん! 熱測ったか!?」
「いや……測る気力もなくて……」
「バカ! ちょっと待ってろ!」
結衣はベッドの脇に座り込み、俺のおでこに冷たい手をピタリと当てた。
「ひやっ」
「うわ、めっちゃ熱いじゃん! これ絶対38度超えてるぞ。ほら、冷却シート買ってきたから貼ってやる」
結衣の顔が、俺の顔のすぐ近くまで寄ってくる。真剣な眼差しで俺のおでこにシートを貼る彼女の横顔。
普段はガサツで男勝りな結衣だが、こうして至近距離で見ると、肌は雪のように白く、まつ毛が驚くほど長いことに気がついた。ふわりと、柑橘系のシャンプーの香りが鼻をくすぐる。
「……お前、意外とまつ毛長いな」
「は? 熱でついに目だけじゃなくて頭までイカれたか?」
「いや、なんか……お前も一応、女の子なんだなって……」
「……バ、バカ言ってんじゃないよ! アタシはいつだって可憐な乙女だろうが!」
結衣は顔を真っ赤にして、俺のおでこに貼った冷却シートをバシッと叩いた。
「痛っ! 病人に何すんだよ!」
「うるさい! 変なこと言うからだ! ほら、消化にいいもん買ってきたから、なんか作ってやるよ」
結衣は足早にキッチンへ向かい、しばらくすると、いい匂いと共に土鍋を運んできた。
「はい、特製卵雑炊。ネギもたっぷり入れてやったからな」
「おー、サンキュ……って、熱くて起き上がれねえ……」
「全く、世話が焼ける親友だな。ほら、口開けろ」
結衣はスプーンで雑炊をすくい、フーフーと息を吹きかけて冷ましてから、俺の口元に突き出してきた。
「はい、あーん」
「いやいやいや! 自分で食えるから! さすがにそれは恥ずかしいだろ!」
「何言ってんだ、親友の優しさを受け取れ! ほら、あーん!」
「無理無理無理!」
「いいから口を開けろ! さもないと鼻に突っ込むぞ!」
結局、俺は結衣の凄みに負け、大人しく「あーん」で雑炊を食べさせてもらった。
「……どうだ、美味いか?」
「……おう。めちゃくちゃ美味い」
「ふふん、アタシの女子力に感謝するんだな」
得意げに笑う結衣の顔を見ていると、熱のせいか、胸の奥が妙にドキドキと高鳴るのを感じた。
いや、違う。これはただの風邪の症状だ。親友に看病してもらって、少し安心しただけだ。
俺は強引に自分を納得させながら、結衣が作ってくれた雑炊を胃に流し込んだ。親友なら、合鍵で家に入ってくるのも、看病してあげるのも、雑炊を食べさせてあげるのも、普通のことなのだ。たぶん。
2年の春。クラス替えこそあったものの、俺と結衣は奇跡的(あるいは悪魔的)にまた同じクラスになり、相変わらずの日常を過ごしていた。
しかし、ある日の昼休み。俺の心に、これまで経験したことのない謎の「バグ」が発生した。
「あ、あのさ……星野さん。もしよかったら、今度の日曜、一緒に映画でも見に行かない?」
体育館裏の渡り廊下。俺が自販機でジュースを買おうと通りかかった時、他クラスのサッカー部のイケメン先輩が、結衣に向かって顔を赤くしながら告白まがいの誘いをしている現場に出くわしてしまったのだ。
俺は咄嗟に自販機の陰に隠れ、息を殺して二人の様子を窺った。
「えっ、アタシとですか? 映画?」
「う、うん。前から星野さんのこと、気になってて……いつも元気で、一緒にいたら楽しいだろうなって」
イケメン先輩の言葉を聞いた瞬間、俺の胸の奥で、ドス黒い何かがモヤモヤと渦巻き始めた。
なんだあの爽やかな笑顔は。なんだあのキラキラしたオーラは。結衣は俺の「最高の親友」だぞ。俺の相棒だ。あんなポッと出のイケメンに、俺の親友を取られてたまるか。
……いや、待て。別に取られるわけじゃない。結衣に彼氏ができたら、それはそれで喜ばしいことじゃないか。親友として、彼女の幸せを応援するべきだ。
頭ではそう理解しているのに、心の中のイライラは収まらない。俺は自販機の冷たい缶コーヒーを握りつぶしそうな勢いで、二人の会話に耳を立てた。
「……ごめんなさい、先輩」
「えっ……」
「誘ってくれたのはすごく嬉しいんですけど、アタシ、休日はいつも一緒に遊ぶヤツがいて。そいつとゲームしたり、適当にブラブラしたりする予定が詰まってるんで」
「そ、それって……彼氏?」
「いえ、ただの腐れ縁っていうか、最高の親友です。でも、アタシにとっては、そいつと過ごす時間が一番大事なんで。本当にごめんなさい!」
結衣は深々と頭を下げ、先輩に背を向けて小走りで去っていった。
俺は急いで自販機の裏から抜け出し、何食わぬ顔で教室に向かう結衣の前に現れた。
「よお、結衣。どこ行ってたんだよ」
「おわっ、拓海か。びっくりさせんなよ」
「なんか、サッカー部のイケメン先輩に呼び出されてたみたいだけど?」
俺がカマをかけると、結衣は少しバツが悪そうに頭を掻いた。
「あー……見られてたか。いや、なんか映画に誘われちゃってさ」
「ふーん。で、どうしたんだよ。イケメンだったじゃん。行けばよかったのに」
口ではそんなことを言いながら、俺の手のひらにはじっとりと嫌な汗が滲んでいた。
「断ったわよ」
「なんで? 彼氏欲しいって言ってなかったか?」
「だって……」
結衣は俺の顔をじっと見上げ、少しだけ頬を染めて言った。
「だって、アタシにはお前がいるし。休日に気を使ってデートするより、お前とボサボサの頭でスマブラしてる方が100倍有意義だもん。……親友の特権だぞ、感謝しろよな」
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸を覆っていたドス黒いモヤモヤが、嘘のようにスッと晴れていくのを感じた。それどころか、口元が勝手に緩んでしまうのを抑えきれなかった。
「……お、おう。当然だろ。俺の右に出るスマブラプレイヤーはいないからな」
「はっ、何言ってんの! アタシのカービィの前では、お前のドンキーコングなんてただの的(まと)だよ!」
「言うじゃねえか。今日の放課後、俺の部屋で決着つけてやる!」
俺たちはいつものように軽口を叩き合いながら、教室へと歩き出した。
結衣が他の男といると腹が立つ。俺の隣にいてくれると安心する。
これはきっと、長年の付き合いで培われた「親友としての独占欲」だ。俺はそう自分に言い聞かせ、心の奥底で鳴り始めた小さな警鐘を見なかったことにした。

夏休みが明け、学校は文化祭の準備で活気づいていた。
俺と結衣はクラスの出し物である「お化け屋敷」の買い出し係に任命され、放課後、近所のホームセンターへと向かっていた。
「おい結衣、その段ボール、お前にはデカすぎないか? 前見えてねえぞ」
「大丈夫大丈夫! アタシの腕力をなめるな……わっ!」
強がって巨大な段ボール箱を抱えていた結衣が、道に落ちていた空き缶を踏み、バランスを崩して前に倒れ込んできた。
「危ねっ!」
俺は咄嗟に持っていた荷物を放り出し、倒れてくる結衣の体を両腕でガッチリと受け止めた。
ドスッという鈍い音と共に、俺の胸に結衣の体がすっぽりと収まる。
「……いっっっつ! お前、マジで危ねえだろ!」
「ご、ごめん……助かった……」
結衣の顔が、俺の胸元のすぐ近くにある。普段は元気いっぱいに動き回っている彼女が、今は俺の腕の中で小さく縮こまっていた。
ふと見下ろすと、結衣のうなじが見えた。夏服のブラウスの隙間から覗く白い肌。そして、あの看病の時にも嗅いだ、柑橘系のシャンプーの甘い香り。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
「……お、おい。いつまでくっついてんだよ。重いぞ」
俺は動揺を隠すために、わざとぶっきらぼうな声を出した。
「……っ! わ、悪かったわね! 乙女に向かって重いとは何事だ、このポンコツ親友!」
結衣は弾かれたように俺から離れ、顔を真っ赤にして怒鳴った。
しかし、その声はいつものような張りがなく、どこか震えていた。彼女もまた、俺から目をそらし、落ち着かない様子で髪をいじっている。
「……お前、意外とドジだよな」
「うるさい! 弘法にも筆の誤りって言うでしょ!」
「それを言うなら猿も木から落ちる、だろ」
いつものようなボケとツッコミの応酬。しかし、そのテンポはどこかぎこちなく、互いの間に妙な沈黙が落ちた。
荷物を拾い集め、再び歩き出す。二人並んで歩く距離が、いつもよりほんの少しだけ離れている気がした。
(……なんだ、今の。なんで俺、あんなにドキドキしたんだ?)
親友だ。結衣は最高の親友だ。男友達と同じように、肩を組んで笑い合える仲だ。
でも、さっき腕の中に収まった彼女の体は、間違いなく柔らかくて、華奢で、「女の子」のそれだった。
(……俺、もしかして、こいつのこと……)
横目で結衣を盗み見る。彼女もまた、下を向いたまま、何かを考え込んでいるようだった。
夕日が二人の影を長く伸ばす。
今まで当たり前だった「親友」という枠組みが、音を立てて崩れ始めているのを感じた。この胸のドキドキは、もう不整脈だなんて言い訳でごまかせるレベルを超えている。
俺は、星野結衣という「女の子」を、明確に意識し始めていた。

文化祭の最終日。後夜祭のキャンプファイヤーが校庭で燃え盛り、生徒たちの歓声が夜空に響いていた。
俺と結衣は、その喧騒から逃れるように、人気のない旧校舎の屋上に続く階段の踊り場に座り込んでいた。窓の外からは、遠くで打ち上がる花火の光が差し込んでいる。
「……終わったな、文化祭」
「うん。お化け屋敷、大盛況だったね。相沢のゾンビ役、マジで気持ち悪くて最高だったよ」
「褒めてんのか貶してんのか分かんねえな」
いつもの軽口。だけど、あの買い出しの日の出来事以来、俺たちの間にはずっと、見えない薄いガラスのような壁が立ちはだかっていた。
触れられそうで触れられない、絶妙な距離感。
俺は深呼吸をして、膝の上に置いた両手を強く握りしめた。今日、この場で、この関係に決着をつける。そう決めていた。
「なあ、結衣」
「ん?」
「俺たち……親友だよな」
「……当たり前じゃん。最高の相棒でしょ?」
結衣は膝を抱え、窓の外の花火を見つめながら答えた。その横顔は、どこか寂しそうに見えた。
「俺さ……最近、その『親友』って言葉が、すげえ窮屈に感じるんだ」
「……え?」
「お前が他の男と話してると無性に腹が立つし、お前が笑ってると、他の誰にも見せたくないって思う。一緒にいると変にドキドキするし……お前のこと、ただの友達なんて、もう思えねえんだよ」
結衣がハッとして、俺の方を振り向く。その大きな瞳が、揺れていた。
俺は真っ直ぐに彼女の目を見つめ返し、言葉を紡いだ。
「星野結衣。俺……お前のことが好きだ。親友としてじゃなく、一人の女として。だから……俺の彼女になってくれないか」
静寂。
遠くで花火が弾ける音だけが響く。結衣は目を丸くしたまま、ポカンと口を開けて固まっていた。
やがて、彼女の顔が、茹でダコのように真っ赤に染まっていく。
「……っ! ……ばか」
「えっ?」
「ばかばかばか! 相沢の超絶バカ!」
結衣は俺の胸をポカポカと軽く叩きながら、目に涙を浮かべて叫んだ。
「……遅いよ! アタシなんて……アタシなんて、ずっと前からお前のこと好きだったのに!」
「……は!? 嘘だろ!? じゃあなんでずっと親友ヅラして……」
「お前が『俺たちは最高の親友だ!』ってうるさいから、それに合わせてただけでしょうが! アタシがどれだけ我慢して、男友達のフリしてたと思ってんのよ!」
結衣の目から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。俺はその涙を見て、自分の鈍感さを呪うと同時に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……マジかよ。じゃあ、俺たち……ずっと両思いだったってことか?」
「そうだよ! この鈍感ゲームオタク!」
「……悪かった。俺がバカだった。でも……」
俺は結衣の肩を優しく掴み、その涙を指で拭った。
「これからは、もう我慢しなくていい。親友の座は今日で卒業だ」
「……仕方ないなぁ。あんたみたいな世話の焼ける男、アタシじゃないと面倒見切れないしね。彼女になってあげるよ」
結衣は涙ぐみながらも、いつものようにニカッと笑った。俺も釣られて笑い出す。
「最高の親友」から「最高の彼女」へのジョブチェンジ。
遠くで上がる花火の光に照らされながら、俺たちは初めて、親友としてではなく、恋人として、そっと唇を重ねた。
文化祭の翌日の月曜日。
いつもの通学路にある交差点で、俺は結衣を待っていた。
「おーい、拓海!」
遠くから走ってくる結衣の姿が見える。いつもと変わらない制服姿だが、なぜか今日は三倍くらい可愛く見えた。
「おはよう、彼女」
「……お、おはよう、彼氏」
互いに顔を見合わせ、照れくさそうに笑う。
昨日から付き合い始めた俺たちだが、長年の「親友」としてのノリが染み付いているせいで、いざ「恋人」としてどう振る舞えばいいのか、全く分からなかった。
「で、恋人って何するんだ? とりあえず、ゲーセン行くか?」
「いや、それいつもと変わんないじゃん。……とりあえずさ、手、繋いでみる?」
「お、おう。そうだな」
俺は恐る恐る右手を差し出し、結衣もまた、顔を真っ赤にしながら左手を出した。
指と指が絡まり合い、しっかりと手を握り合う。結衣の手は、思ったよりも小さくて温かかった。
「……なんか、変な感じだな。いつも隣歩いてるのに」
「うん。でも……悪くないかも」
手を繋いだまま、俺たちは学校へと歩き出した。
校門をくぐり、下駄箱に向かうと、そこには案の定、クラスメイトの佐藤の姿があった。
俺たちが手を繋いでいるのを見た瞬間、佐藤は目を限界まで見開き、持っていた上履きをポロッと落とした。
「お前ら……ウソだろ……」
「おう佐藤、おはよう。俺たち、ついに付き合ったわ」
「親友から恋人にクラスチェンジしたから。よろしく」
俺と結衣がドヤ顔で宣言すると、佐藤は深々と天を仰ぎ、叫んだ。
「やっとかよ!! お前ら以外、クラスの奴ら全員、一年前からお前らが両思いだって知ってたわ!! どれだけ周りがヤキモキしてたと思ってんだ、このバカップル!!」
「「えっ、マジで!?」」
どうやら、俺たちの「親友」という隠れ蓑は、周囲には完全に透けて見えていたらしい。
佐藤の叫び声を聞きつけ、他のクラスメイトたちも集まってきて、「おめでとう!」「やっと結婚したか!」と口々に冷やかしてきた。
「け、結婚ってなんだよ! 気が早すぎるだろ!」
「そうだよ! アタシたちはまだ純粋な高校生カップルなんだから!」
顔を真っ赤にしてツッコミを入れる結衣。その手を、俺はさらに強く握り返した。
周りから見れば、相変わらず漫才みたいな掛け合いをしているただのバカップルかもしれない。
でも、それでいい。
息を吸うようにボケて、吐くようにツッコむこのテンポの良さは、俺たちが築き上げてきた最高の絆の証なのだから。
「これからもよろしくな、最高の親友で、最高の彼女」
「任せとけ、最高の彼氏。……あ、でも今日の放課後のスマブラは手加減しないからね」
「望むところだ。愛の力でボコボコにしてやるよ」
俺たちは顔を見合わせ、二人で声を出して笑った。
親友カップル爆誕。ノリは変わらないけれど、幸福度は間違いなくカンストしている。
俺たちの騒がしくて愛おしい日常は、恋人という新しいステージで、これからもずっと続いていく。