タイトル:『俺たちは最高のダチで、最強の相棒で、なぜか恋人扱いされている』

「おらおらおら! 隙だらけだぜ、そこのモブキャラ!」
「誰がモブキャラだ! てめえ、そこでその技振るのは反則だろうが!」
「格ゲーに反則なんてねえんだよ! 読めないお前が悪い! そいやっ!」
画面にデカデカと『K.O.』の文字が躍る。俺、相葉湊(あいばみなと)は、手元のアーケードスティックから力なく手を離し、天を仰いだ。これで十連敗。いくら新しく出たばかりの格闘ゲームとはいえ、相手は初見の乱入者だ。しかも、画面の向こう側に座っているのは——。
「っかー! いい汗かいたわ! なあお前、なかなかいい動きするじゃん。コンボの繋ぎとか結構シビアなとこ攻めてたし。ま、私の圧倒的センスには及ばなかったけどな!」
対戦台の向こうからひょっこりと顔を出したのは、セミロングの髪を無造作に揺らした女子高生だった。パッチリとした二重に、少しだけ釣り上がった勝気な瞳。制服の着こなしはラフで、首元にはヘッドホンが引っかかっている。夏目結愛(なつめゆあ)——それが、俺の『最高の親友』となる女との最悪な(そして最高な)出会いだった。
「圧倒的センスって自分で言うな。九試合目なんてまぐれ当たりだろ」
「あ? 負け犬の遠吠えですか〜? 聞こえなーい。ワンワン鳴いてみろよ」
「誰が鳴くか! もう一回だ、席外すなよ!」
「お、いいぜ? お前の百円玉が尽きるまで付き合ってやるよ!」
高校に入学してまだ一週間。部活にも入らず、ふらりと立ち寄った駅前のゲームセンターで、俺たちは文字通り拳(コントローラー)を交えて意気投合した。最初はただのムカつく乱入者だったが、何十回と対戦を重ねるうちに、お互いの思考回路が嫌というほど理解できるようになっていた。
「そこはガードだろ!」「うるせえ、攻め一択だよ!」「だからカウンターもらうんだよ馬鹿!」なんて罵り合いながら、気づけば外はすっかり暗くなっていた。
「……あー、腹減った」
「奇遇だな、私もだ。なあ、そこ曲がったとこにあるラーメン屋、知ってるか?」
「『麺屋・豚骨大魔王』か? あそこ気になってたんだよ」
「よし、じゃあ今日の勝者が奢られる権利を獲得! 敗者の相葉くん、よろしく!」
「はあ!? なんで俺が奢る流れになってんだよ!」
「十勝十五敗の分際で私に口答えする気か? ん?」
「くそっ、次こそは絶対ボコボコにしてやる……!」
結局、俺がチャーシューメンを奢る羽目になった。結愛は「んまーっ!」とおっさんのような歓声を上げながら豪快に麺をすすり、俺のメンマを横取りした。
「おい、俺のメンマ!」
「油断したお前が悪い。弱肉強食だ」
「ここはサバンナかよ!」
「私は百獣の王ライオンだからな。ガオー」
「アホかお前」
そんなやり取りをしながら、俺は不思議と居心地の良さを感じていた。女子と一緒にいるという緊張感はゼロ。まるで小学生の頃からつるんでいる地元の悪ガキ仲間と一緒にいるような感覚だった。
「なあ相葉」
「なんだよ」
「お前、最高に気が合うな。今日から私とお前は親友(ダチ)だ!」
「……勝手に決めんな。まあ、暇つぶしの相手くらいにはしてやるよ」
これが、俺と結愛の「最高の友情」の始まりだった。この時の俺たちは、まさか周囲から「あのバカップル」と呼ばれるようになるなんて、微塵も思っていなかったのだ。
高校二年の秋。俺と結愛が『最高のダチ』としての契りを交わしてから、一年半が経過していた。
昼休みの教室。俺の机の上には、購買部で熾烈な争奪戦を勝ち抜いて手に入れた幻の『極み・カツサンド』が鎮座している。俺は勝利の余韻に浸りながら、パッケージを開けようとした。
「……おい、相葉」
「なんだよ、夏目。そんな物欲しそうな顔してもやらねえぞ」
「ケチ! お前の血は緑色か! 魔族か!」
「俺は純度百パーセントの人間だよ。お前が寝坊して購買ダッシュに出遅れたのが悪いんだろうが」
「うう……私の焼きそばパン……」
結愛は俺の前の席に反対向きに座り、机に突っ伏して恨めしそうな声を上げている。その様子があまりにも哀れだったので、俺はカツサンドを半分に割り、無言で結愛の口に突っ込んだ。
「ふがっ!?」
「半分だけだ。感謝しろよ」
「……もぐもぐ……んふふ、お前ってやつは! やっぱり最高に話のわかるダチだぜ! 愛してる!」
「はいはい、カツサンドに愛を誓ってろ」
「おーい、お前ら。また夫婦漫才やってんのか?」
呆れたような声とともに近づいてきたのは、クラスメイトの佐藤だった。彼は俺たちのやり取りを見て、やれやれと肩をすくめている。
「誰が夫婦漫才だ。こいつの食い意地が張ってるだけだろ」
「ちげーよ、相葉が私にカツサンドを貢ぎたがってたんだよ。私はその純粋な好意を受け取ってあげただけ」
「都合のいい脳みそしてんな、おい」
「ていうかさ」佐藤がニヤニヤしながら身を乗り出してくる。「お前ら、絶対付き合ってるだろ? いつからだよ? 隠さなくてもいいぜ?」
出た。またこのくだりか。
俺と結愛は顔を見合わせ、同時に鼻で笑った。
「「はあ? こいつと? ないない」」
「息ピッタリじゃねえか!」と佐藤がツッコミを入れる。
「いやいや、佐藤、お前目が腐ってんぞ。私と相葉はそういうんじゃないから。な?」
「おうよ。俺とこいつは『最高の親友(ダチ)』だからな。男同士の熱い友情みたいなもんだ」
「あのな、お前ら毎日一緒に登下校して、休み時間もずっと一緒にいて、週末もゲーセンやらファミレスやら入り浸ってるだろ。それを世間ではデートって言うんだよ」
「デート? ゲーセンの格ゲーでガチギレしながら台パン寸前までいくのがデートか? ロマンチックの欠片もねえわ」俺は肩をすくめる。
「だいたい、相葉は私のこと女だと思ってないしな! 私もこいつの着替え見ても何とも思わんし!」
「おい、いつ俺の着替え見たんだよ」
「体育の後に廊下から覗いた」
「通報するぞ変態!」
「……お前らがそこまで言うなら、まあいいけどよ」佐藤は釈然としない顔で去っていった。
結愛は残りのカツサンドを飲み込みながら、「まったく、すぐ男女の仲に結びつけるんだから、青春脳は困るぜ」と豪快に笑う。
「違いない。俺とお前の間に、そんな甘ったるい感情が入り込む隙間なんてねえよな」
「当然だ! 私たちは最強の相棒だからな!」
拳を突き出してくる結愛に、俺も自分の拳をコツンと合わせた。
そうだ、俺たちは親友だ。一緒にいると世界が全部ネタになる。腹が捩れるほど笑えて、気を使わなくてよくて、最高に楽しい。この関係に、恋愛なんていう面倒なバグを持ち込む気は、俺にも結愛にも一切なかった。
冬休みに突入したある日のこと。俺の家の玄関で、結愛がボストンバッグを肩に担いで仁王立ちしていた。
「たのもー! 夏目結愛、推して参る!」
「声がでけえよ。近所迷惑だろ」
「親が旅行で三日間も家空けるんだぜ? こんなの、相葉家でゲーム合宿するしかないだろうが!」
というわけで、結愛が俺の家に三日間泊まり込むことになった。俺の親も結愛のことは「湊の親友」として完全に認知しており、「結愛ちゃんが来るなら夕飯はすき焼きね!」と大歓迎モードだった。
夜。すき焼きを腹がはち切れるほど食った後、俺たちは俺の部屋でゲーム機の前に陣取っていた。
「よし、次は協力プレイのゾンビゲーだ。私が前衛で暴れるから、お前は後方支援な!」
「お前すぐ突っ走って死ぬから嫌だ。俺が前張るからお前は回復に専念しろ」
「なめんな! 私のエイム力を見せてやる!」
並んで座ったベッドの上で、コントローラーを握りしめて白熱する。肩と肩がぶつかるほど近い距離だが、いつも通りの光景だ。
しかし、ゲームがひと段落し、結愛が「先風呂入ってくるわー」と立ち上がった時、ふと異変を感じた。
数十分後、風呂上がりの結愛が部屋に戻ってきた。
「あー、さっぱりした! 相葉、お前のシャンプーなんかスースーするな」
「男用だからな。……って、おい」
俺は振り返って、思わず息を呑んだ。
結愛はダボダボのスウェット姿(俺が貸したものだ)で、濡れた髪をタオルで無造作に拭いていた。いつもは制服か、ボーイッシュな私服姿しか見ない。風呂上がりの、少し上気した白い肌。そして、部屋にフワリと漂う、俺と同じはずなのにどこか違う、甘い石鹸の匂い。
「ん? どした? 私のすっぴんが美しすぎて見惚れたか?」
「……ばーか。お前の顔なんて見飽きてるっつーの。早く髪乾かせ、風邪引くぞ」
「へーい、オカンかよ」
結愛は俺の隣にどさりと座り込み、再びコントローラーを握った。
「よし、続きやるぞ!」
「……おう」
画面を見つめながら、俺は自分の心臓がいつもより少し早く動いているのを感じていた。
隣から伝わってくる体温。時折、結愛が身を乗り出すたびに漂うシャンプーの香り。ゲームに集中して少し開いた口元。無防備すぎる。
(いやいやいや、待て待て。相手は結愛だぞ。あのガサツで大食いで、ゲーセンで台パンする女だぞ。俺の最高のダチだぞ)
俺は必死に頭の中で言い聞かせた。これはただの錯覚だ。部屋が少し暑いだけだ。
「おい相葉! 後ろからゾンビ来てる! カバーしろ!」
「わ、わかってるよ! うおおお、死ねえええ!」
「お前、なんか変にテンション高くないか? まさかビビってんの?」
「ビビってねえよ! お前こそ弾無駄遣いすんな!」
深夜二時。ゲームオーバーの画面を前に、結愛はコントローラーを握ったまま船を漕ぎ始めた。
「……んぁ……相葉……あそこのアイテム……とって……」
「おい、寝るなら布団行け。風邪引くぞ」
返事はない。結愛は俺の肩にコテンと頭を預け、スースーと静かな寝息を立て始めた。
肩にかかる重みと、くすぐったい髪の感触。
「……無防備すぎんだろ、バカ」
俺は小さくため息をつき、結愛の頭をそっとクッションに乗せ替え、毛布をかけてやった。
その寝顔を見つめながら、俺は胸の奥でチクリと鳴った謎の感情から、必死に目を逸らした。俺たちは親友だ。絶対に、それ以上でも以下でもないんだから。
三学期が始まってすぐのことだった。
いつものように放課後、俺と結愛はファミレスでポテトをつつきながら、昨日のアニメの話で盛り上がっていた。
「でさー、あそこの作画マジで神がかってたよな! 思わずテレビの前で拝んだわ」
「わかる。あのシーンだけ三回見直した」
平和な日常。しかし、結愛がケチャップをポテトにたっぷりつけながら、何でもないことのように爆弾を投下した。
「そういえばさ、今日、三組のイケメン……えーと、名前なんだっけ。ほら、サッカー部の」
「三組のサッカー部? 沢田か?」
「あ、そうそう、沢田! そいつにさ、今日の放課後、裏庭に呼び出されたんだよね」
「……は?」
俺の手から、ポテトが一本ポロリと皿に落ちた。
「呼び出されたって……裏庭に? 男女が二人きりで?」
「おう。なんか『ずっと見てました、付き合ってください』とか言われてさ」
ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。
沢田といえば、学年でもトップクラスのイケメンで、女子からの人気も高い。そんなやつが、なんで結愛なんかに。いや、結愛だって黙っていれば顔は整っているし、スタイルだって悪くない。でも、俺の『親友』だぞ。
「で……お前、なんて答えたんだよ」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、硬かった。
「ん? 断ったに決まってんじゃん」
結愛はジュースをストローでズズッと啜りながら、ケロッとした顔で言った。
「だって、彼氏なんて作ったらお前とゲームする時間減るじゃん。ゲーセンも行けなくなるし。そんなの百害あって一利なしだろ」
「…………」
俺は、全身から一気に力が抜けるのを感じた。安堵。圧倒的な安堵感が、胸の奥のモヤモヤを吹き飛ばしていく。
「なんだよ相葉。お前、なんか顔怖いぞ。便秘か?」
「誰が便秘だ! ……いや、お前さ、断る理由が『俺とゲームする時間が減るから』って、沢田が聞いたら泣くぞ」
「事実だもん。だいたい、私みたいなガサツな女と付き合っても、あっちが苦労するだけだっての。私は相葉とこうやってアホなことやってるのが一番楽しいんだからさ」
結愛はニカッと笑って、俺のポテトを横取りした。
「おい、それ俺の!」
「隙あり! 恋愛ごときに現を抜かさない私を褒め称え、ポテトを捧げるが良い!」
「意味わかんねえよ!」
いつものように言い合いながら、俺は自分の心の中で起きた感情の波に戸惑っていた。
結愛が誰かに告白されたと聞いた瞬間の、あの腹の底から湧き上がるような焦燥感とイラ立ち。そして、断ったと聞いた時の、どうしようもないほどの安堵。
(親友の門出を祝えない俺は、心が狭いのか……?)
いや、違う。もし佐藤や他の男友達に彼女ができたら、俺は「おめでとう、爆発しろ」と笑って言えるはずだ。でも、結愛が他の男の隣で笑っている姿を想像すると、無性に腹が立った。
「……なあ、夏目」
「んー?」
「お前、俺がいねえとマジでダメなやつだな」
「はあ!? なんで上から目線なんだよ! お前こそ、私がいないと寂しくて死んじゃうウサギさんだろうが!」
「誰がウサギだ! 寂しくねえわ!」
強がって言い返しながらも、俺は気づき始めていた。
結愛の言う通り、俺はこいつがいないとダメなのかもしれない。他の誰かが結愛の隣に立つなんて、絶対に認められない。
ただの『親友』という言葉に、少しずつヒビが入り始めていた。

季節は春へと向かっていたが、まだ冷え込みの厳しい二月の終わり。
俺は珍しく高熱を出し、学校を休んでベッドでウンウンと唸っていた。両親は共働きで不在。ポカリを買いに行く気力もなく、ただ天井を睨みつけていた。
ピンポーン、とインターホンが鳴った。
無視しようとしたが、直後にガチャリと玄関の鍵が開く音がした。合鍵を持っているのは家族以外に一人しかいない。
「おーい、相葉ー。生きてるかー?」
ドタドタという足音とともに、俺の部屋のドアが開いた。そこには、コンビニのビニール袋を両手に下げた結愛が立っていた。
「……お前、なんで……学校は……」
「早退してきた。お前が休むなんて珍しいから、どうせアホみたいに熱出して一人で苦しんでるんだろうなと思ってな」
結愛は俺の額にペチッと冷えピタを貼り付けた。
「つめたっ!」
「よし、命中。ほら、ゼリー買ってきたから食え。ポカリもあるぞ」
結愛は手際よく枕元に飲み物を置き、ベッドの脇にパイプ椅子を引き寄せて座った。
「……お前、風邪うつるぞ。帰れよ」
「バカ言ってんじゃねえよ。最高のダチが弱ってんのに、見捨てて帰れるか。私を誰だと思ってんだ」
「……世話焼きのオカン」
「よし、病人の特権で殴るのはやめておいてやる。感謝しろ」
結愛はそう言うと、俺が食べやすいようにゼリーの蓋を開け、スプーンを差し出してきた。
「ほら、あーん」
「……は? 自分で食えるわ」
「いいから! 病人は大人しく甘えとけ!」
無理やり口に突っ込まれたゼリーを飲み込みながら、俺は結愛の顔をマジマジと見つめた。
いつもは悪ふざけばかりしている彼女の瞳が、今は心底俺を心配しているように揺れている。
「……わりぃ、ありがとな」
「ふん。治ったら、ゲーセンでジュース一本奢らせるからな」
「安いな、お前」
「私と相葉の仲だからな。特別ディスカウントだ」
結愛は俺の髪をワシャワシャと撫でた。その手は少しひんやりしていて、熱を持った俺の頭には心地よかった。
「早く治せよ、相葉。お前がいないと、ツッコミがいなくて私のボケがスベり倒すんだからな」
「……俺はお前のツッコミマシーンじゃねえよ」
軽口を叩き合いながらも、俺の胸の中では、これまで必死に押さえ込んできた感情が限界を迎えつつあった。
『親友だから』。その言葉を免罪符にして、俺はずっと結愛の隣にいる権利を独占してきた。でも、もう誤魔化しきれない。
看病してくれる結愛の手の温もり。俺を真っ直ぐに見つめる心配そうな瞳。そのすべてが愛おしくてたまらない。
俺は、こいつのことが好きだ。
男友達みたいなノリも、一緒にゲームで熱くなるのも、購買でパンを奪い合うのも、全部こいつだから好きなんだ。
「……なあ、結愛」
俺は無意識に、いつもは苗字で呼ぶ彼女の名前を口にしていた。
「ん? どした? 吐きそうか?」
「ちげーよ……。あのさ……」
言葉を紡ごうとした瞬間、結愛のスマホがピロリンと鳴った。
「あ、ごめん、お母さんからだ。『夕飯の買い物してきて』だって。もう、タイミング悪いなー」
結愛は立ち上がり、「じゃあ、私そろそろ行くわ。また明日様子見に来てやるから、大人しく寝てろよ!」と笑って部屋を出て行った。
一人残された部屋で、俺は熱い息を吐き出した。
風邪の熱のせいじゃない。俺の心臓は、これまでで一番激しく警鐘を鳴らしていた。
もう『親友』のままじゃいられない。俺は、この関係をぶっ壊す覚悟を決めた。

俺が風邪から完全復活し、春休みに突入したある日の夕暮れ。
俺たちは駅前のゲーセンでひとしきり暴れた後、オレンジ色に染まる河川敷の道を並んで歩いていた。
「いやー、今日の相葉は弱かったな! まさか私の新コンボに三連続で引っかかるとは!」
「うるせえ、コントローラーのボタンがヘタってたんだよ。言い訳じゃねえぞ、事実だ」
「はいはい、そういうことにしておいてやるよ、敗者くん」
いつも通りの漫才。いつも通りの帰り道。
だが、俺の中の決意は固まっていた。今日こそ、言う。このぬるま湯のような、最高に居心地のいい『親友』という関係に終止符を打つ。
俺は足を止めた。
「……おい、夏目」
「ん? なんだよ。コンビニ寄るか? 肉まん奢ってくれるならついていくぞ」
数歩先を歩いていた結愛が振り返り、無邪気に笑う。夕日に照らされた彼女の笑顔が、やけに眩しかった。
「いや、肉まんは奢らねえ。……ちょっと、真面目な話がある」
「真面目な話? なんだよ改まって。まさか、お前……留年したのか!?」
「なんでそうなるんだよ! 成績はお前より上だろうが!」
「じゃあなんだよ。変な間空けるなよ、気持ち悪いな」
結愛はふざけた調子で笑っていたが、俺の真剣な表情を見て、少しだけ戸惑ったように目を瞬かせた。
俺は深呼吸をして、結愛の目を真っ直ぐに見つめた。
「なあ、俺たち……もう『親友』やめね?」
「……は?」
結愛の顔から表情が抜け落ちた。
「は? え、やめるって……絶交ってこと? 私、なんか怒らせるようなことしたか!? さっきの格ゲーでハメ技使ったことか!? ごめん、あれは私が悪かった!」
結愛が慌てて俺の腕を掴んでくる。その手は少し震えていた。
「ちげーよ! 落ち着け、バカ」
俺は結愛の手を優しく握り返した。
「絶交じゃねえ。……俺は、お前の彼氏になりたいんだよ」
「…………え?」
結愛の口がぽかんと開いた。思考が停止しているのが丸わかりだ。
「ツッコミ待ちじゃない。マジなやつだ」
俺は結愛の手を握ったまま、言葉を続けた。
「一緒にいて最高に楽しいし、気も合うし、お前がいない日常なんて考えられない。でも、俺はもう、ただの『ダチ』でいるのは限界だ。お前が他の男に告白されるの聞いて、頭おかしくなるくらい嫉妬したし、看病してくれた時も、すげえドキドキしてた」
「あ、相葉……お前、熱ぶり返してんじゃ……」
「熱じゃねえ。俺は、夏目結愛のことが好きだ。女として、一人の人間として、本気で惚れてる。だから……俺と、付き合ってくれ」
河川敷に静寂が落ちた。遠くでカラスが鳴く声だけが響く。
結愛は俯いたまま、小刻みに震えていた。やがて、彼女の顔がゆっくりと上がり——その顔は、夕日よりも赤く染まっていた。
「……ばか」
「え?」
「バカ相葉! お前、そういうのはもっとムードのあるところで言えよ! なんでゲーセン帰りの、肉まんの話した直後なんだよ!」
「そこかよ! ムードなんて俺たちに似合わねえだろ!」
「似合わなくても! 私だって乙女なんだぞ!」
「乙女は台パンしねえんだよ!」
いつものように言い合いになりかけたが、結愛はふっと笑い、俺の握っている手をギュッと握り返してきた。
「……私も、お前が他の女子と話してるの見るの、最近すげー嫌だった。親友だからって言い訳してたけど……相葉の隣は、私が一番いい」
結愛は照れ隠しのようにそっぽを向きながら、小さな声で言った。
「……よろしく頼む、相葉。私の、最初の彼氏殿」
俺は胸の奥が熱くなるのを感じながら、笑って答えた。
「おう。俺の、最強の彼女殿」
俺たちが『親友』から『恋人』にクラスチェンジして、翌日。
新学期の教室で、俺たちはいつものように並んで座っていた。
「おい相葉! 私の消しゴム使ったろ! 返せ!」
「お前が机の上に放置してるのが悪い。共有財産だ」
「ジャイアンかお前は! 私のものは私のものだ!」
「……お前ら、相変わらずだな」
呆れ顔で声をかけてきたのは、佐藤だった。
「ん? なんだ佐藤。私たちに何か用か?」
「いや、お前らさ、なんか雰囲気変わったっていうか……もしかして、ついに付き合った?」
俺と結愛は顔を見合わせた。
今までなら「「はあ? こいつと? ないない」」とハモって否定していたところだ。
しかし、俺はニヤリと笑って、結愛の肩に腕を回した。
「おう。昨日からな」
「……は?」
佐藤の目が見開かれる。
結愛も少し照れくさそうに頬を掻きながら、「ま、そういうことだ。私という超絶美少女を射止めた相葉の運の良さを讃えてやってくれ」と胸を張った。
「おまっ……マジか!? いや、知ってたけど! 全校生徒が知ってたけど! ようやくかよ! おめでとう!」
佐藤の叫び声に、クラス中が「えっ、あの二人ついに!?」「遅すぎだろ!」と沸き立った。
俺たちは「なんだよその反応!」とツッコミを入れながらも、満更でもない気分だった。
放課後。
いつものように二人で帰り道を歩く。
「なんか、クラスの奴らに冷やかされるの、ちょっと恥ずかしかったな」
「お前が自分から肩抱いてきたんだろうが。私、心臓飛び出るかと思ったぞ」
「お? 照れてんのか? 可愛いとこあんじゃん」
「うるせえ! 次やったらみぞおちにパンチ入れるからな!」
口では文句を言いながらも、結愛の右手は、俺の左手としっかりと繋がれていた。
親友だった頃には絶対にやらなかった『恋人繋ぎ』。
少し汗ばんでいるけど、そんなことは気にならない。むしろ、この熱が心地いい。
「なあ、結愛」
「なんだよ、湊」
急に下の名前で呼ばれて、俺の方がドキッとしてしまった。こいつ、絶対わざとだろ。
「……いや、なんでもねえ。今日もゲーセン寄ってくか?」
「当然だ! 昨日のお返し、たっぷりしてやるからな。覚悟しとけよ!」
俺たちは最高のダチで、最強の相棒だ。
会話のテンポも、バカなノリも、何も変わらない。
でも、これからは『恋人』という新しい称号が加わった。
「ま、これからもよろしくな、相棒」
「おうよ、彼氏殿! 私についてこい!」
夕日に照らされた二つの影が、一つの大きな塊になって伸びていく。
俺たちの青春という名のコント劇場は、恋愛というスパイスを加えて、まだまだ続いていくらしい。