タイトル:『俺たち、どう見ても最高の「親友」だよな? 〜周囲が勝手にカップル扱いしてくる件〜』
高校二年の春。クラス替えの発表が貼り出された掲示板の前は、悲喜こもごもの声で溢れかえっていた。
「よっしゃあ! また健太と同じクラスだぜ!」
「うわ、最悪。数学の鬼・佐々木先生が担任じゃん……」
そんな喧騒をよそに、俺――高坂大和(こうさか やまと)は、自分の名前が書かれた「2年B組」の教室へと足を踏み入れた。春の陽気が窓から差し込み、黒板にはチョークで『新学期おめでとう』と書かれている。俺はあらかじめ決められていた座席表を確認し、窓際の後ろから二番目という、いわゆる『主人公席』の特等席に鞄を置いた。
「ふっ、今年は俺の年になる予感がするぜ……」
一人で悦に浸っていたその時だ。
「どっこいしょっと」
隣の席に、どさりと重そうなリュックが置かれた。声の主を見やると、肩口まで切り揃えられた艶やかな茶髪に、ぱっちりとした二重まぶたが特徴的な女子が立っていた。制服の着こなしは少しルーズだが、それがかえって彼女の活発さを引き立てている。客観的に見て、かなりレベルの高い美少女だ。
「あ、よろしく。私、星野結衣(ほしの ゆい)。前のクラスはC組だったよ」
「お、おう。俺は高坂大和。A組だった。よろしくな」
挨拶を交わし、とりあえず第一印象は悪くないなと思った矢先。俺はペンケースから筆記用具を取り出そうとして、手が滑り、お気に入りの消しゴムを床に落としてしまった。
コロコロと転がった消しゴムは、星野の足元へ。
「あ、悪い。それ拾って――」
「ほれ、お前のライフライン」
星野は足元に落ちた消しゴムを拾い上げると、なぜか得意げな顔で俺の机にコトンと置いた。
「……は? ライフライン?」
「そう。これがないと、テストの時にマークシートを修正できなくて社会的に死ぬでしょ? つまり命綱、ライフライン」
「いや、消しゴムをライフラインって呼ぶやつ初めて見たわ! 俺の学力をなんだと思ってんだ。まあ、間違っちゃいないけどさ」
「だよねー! 実は私、昨日の実力テストで消しゴム忘れちゃってさ。仕方ないからマークシートを指でこすって消そうとしたら、摩擦熱で紙が破れたんだよね」
「原始人かよ! 火でも起こす気だったのか!」
「危なかったよ。もう少しで教室がキャンプファイヤーの会場になるところだった」
「ならねーよ! っていうか、消しゴムくらい誰かに借りろよ!」
俺がツッコむと、星野は「あはは!」と豪快に笑った。その屈託のない笑顔に、俺はなぜか一瞬だけ毒気を抜かれてしまった。
「高坂、お前ツッコミのキレがいいね。私、ボケがいのある奴って好きだよ」
「お前、初対面の女子が言うセリフじゃないぞそれ。……まあでも、俺も話の早い奴は嫌いじゃない」
そこから、俺たちの会話はまるで何年も前からの知り合いだったかのように弾んだ。
話題は学校の先生の面白エピソードから始まり、最近ハマっている漫画、さらには昨夜遅くまでやっていたオンラインゲームの話にまで及んだ。
「え、お前も『モンスターハンター』やってんの!? マジで!?」
「やってるやってる! メイン武器は大剣! 脳死で溜め斬りぶち込むのが快感なんだよねー!」
「うわ、性格出てるわー! 俺は双剣でチクチクやる派だから、お前みたいな猪武者は後ろから見ててヒヤヒヤするタイプだ」
「なんだと!? 猪武者って言うな! 勇猛果敢な前衛アタッカーと呼べ!」
「どっちも一緒だろ!……でもまあ、前衛でタゲ取ってくれる奴がいると助かるのは事実だけどな」
「でしょでしょ? 今日さ、家に帰ったら一緒に一狩り行こうよ。私のID教えるから」
星野はそう言うと、ノートの切れ端にさらさらとIDを書き込み、俺に渡してきた。
「お、おう。いいぜ。お前のへっぽこプレイ、俺がカバーしてやるよ」
「言ったな? 私の火力特化装備を見たら、あまりの凄さに泣いて土下座するからね!」
「なんだその謎の自信は……」
気がつけば、ホームルームが始まるまでのわずかな時間で、俺たちは完全に意気投合していた。
見た目は可憐な美少女なのに、中身は完全に近所のノリの良い男子中学生。気を遣う必要が一切なく、何を言っても倍以上のテンションで返してくる。
「星野、お前最高だな。今日からお前は俺の『ブラザー』だ」
「ブラザーって! 性別変わってんじゃん!……まあいいや。よろしくな、相棒!」
星野はニカッと笑い、右手を差し出してきた。俺も笑って、その小さな手をがっちりと握り返す。
こうして、俺と星野結衣の、最高に気が合う「友情」という名の漫才的日常が幕を開けたのだった。

新学期が始まってから一ヶ月。俺と結衣(いつの間にか下の名前で呼び合うようになっていた)は、クラスの誰もが認める「名物コンビ」と化していた。
昼休み。四時間目の終了を告げるチャイムが鳴り終わるか終わらないかのうちに、結衣は自分の机をガラガラと引きずって、俺の机にくっつけてきた。
「大和! 腹減った! 今日のお前の弁当、おかず何!?」
「挨拶より先におかずの確認かよ。今日は生姜焼きだ。……って、おい! 勝手に人の弁当箱を開けんな!」
「おおー! 茶色い! 男の弁当って感じで最高だね! はい、いただきまーす!」
結衣は自分の箸を素早く動かし、俺の弁当箱から一番大きな生姜焼きの肉を強奪して、パクリと口に放り込んだ。
「あーっ! お前、俺のメインディッシュを!!」
「ん〜! 美味っ! 大和のお母さん、いい仕事するわー」
「くっそ、やりやがったな……! 目には目を、歯には歯をだ!」
俺は報復とばかりに、結衣の可愛らしいピンク色の弁当箱に箸を伸ばした。そこには、綺麗に形作られた卵焼きと、ウインナー、そして照り焼きチキンが彩りよく詰められていた。
「スキあり! この照り焼きチキンは俺がいただく!」
「ああっ! 私の丹精込めたチキンが!」
俺はチキンを口に入れ、ひと噛みする。甘辛いタレと柔らかな肉汁が口の中に広がり、思わず目を見開いた。
「……美味え。なにこれ、お前の母ちゃん、料理の天才か?」
「ふっふっふ。大和くん、驚くのはまだ早いよ。その弁当を作ったのは、他でもないこの私、星野結衣様なのだ!」
結衣はふんぞり返り、得意げに鼻を鳴らした。
「……は? マジで? お前が作ったの?」
「そうだよ! 毎朝早起きして作ってんの! どうよ、私の隠された女子力!」
「いや、隠してねえで普段からもう少し表に出せよ! いつもガサツに口開けて爆笑してるから、中身がオッサンだと思ってたわ」
「失礼な! 私はいつだって可憐な女子高生だよ! 見た目も中身もキュートでしょ!」
「見た目はな。中身は休日の親父だけどな」
「キーッ! 言ったな! じゃあもう一個生姜焼きもらう!」
「だからなんでそうなるんだよ!」
俺たちがいつものようにギャーギャーと騒いでいると、前の席で弁当を食べていた悪友の健太が、呆れたように振り返った。
「お前らさぁ……毎日毎日、飽きもせずに夫婦漫才やってんな」
「「夫婦じゃない!」」
俺と結衣は、見事なユニゾンで健太にツッコミを入れた。
健太はニヤニヤと笑いながら、からかうように言葉を続ける。
「いやいや、どう見ても付き合ってるカップルの距離感だろ。弁当のおかずシェアするとか、完全にラブラブじゃん。さっさと付き合っちゃえよ」
その言葉に、俺は心底嫌そうな顔を作って手を振った。
「バカ言え。俺がこいつと? ないない。あり得ない」
「そうだよ健太! 私が大和なんかと付き合うわけないじゃん! こいつは私の最高の『親友』だから!」
「おうよ! 星野は俺のブラザー、戦友、相棒だ! 恋愛感情なんて、ミジンコほども湧かねえよ!」
「ミジンコってなんだよ! 私の可憐さに少しはドキドキしろよ!」
「可憐な奴は人の弁当の生姜焼きを強奪しねえんだよ!」
俺たちのやり取りを聞いて、周囲のクラスメイトたちもクスクスと笑い始めた。
「またやってるよ、あの二人」
「絶対付き合ってるよねー、あれで付き合ってないとか詐欺でしょ」
ヒソヒソという声が聞こえてくるが、俺たちは全く気にしなかった。
なぜなら、俺たちにとってこの関係は、本当にただの「気の合う男友達同士」のようなものだったからだ。一緒にいてこれほど楽で、楽しくて、気兼ねしない相手はいない。
放課後になれば、二人で駅前のゲームセンターに寄って格闘ゲームで対戦し、負けた方がジュースを奢るという罰ゲームで盛り上がる。帰り道にはコンビニのホットスナックを買い食いしながら、くだらない話題で腹を抱えて笑う。
恋愛なんていう、めんどくさくて、気を遣って、いつか壊れてしまうかもしれない関係になんて、全くなりたくなかった。
「ほら大和、口の横にタレついてるよ。子どもか」
結衣が自分のポケットからティッシュを取り出し、俺の頬をゴシゴシと乱暴に拭いてくる。
「いってえ! もっと優しく拭けよ!」
「男なんだからこれくらい我慢しなさい! ほら、綺麗になった」
「……お前、そういう変なところだけオカンみたいなんだよな」
「女子力高いって言ってよ!」
俺たちは顔を見合わせて、また吹き出した。
こんな楽しい毎日が、ずっと続けばいい。俺は本気でそう思っていたし、結衣も同じ気持ちだという確信があった。
俺たちは、最高に気が合う「親友」なのだから。
梅雨入り間近の、ある週末のことだった。
俺は自分の部屋で、昨日発売されたばかりの新作アクションRPGをプレイしていた。外は朝からどんよりとした曇り空だったが、昼過ぎになってついにバケツをひっくり返したような土砂降りの雨になった。
「うわー、すごい雨だな。今日外に出なくて正解だったわ」
コントローラーを握りながら独り言をつぶやいていると、突然、部屋のインターホンがけたたましく鳴り響いた。
『ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!』
「はいはい、今出るって!」
連打されるチャイムに急かされながら玄関のドアを開けると、そこにはずぶ濡れになった結衣が立っていた。
「お邪魔しまーす……って、寒っ!!」
「うおっ!? お前、なんでそんな濡れてんだよ! 傘は!?」
「いや、家出た時は降ってなかったからさ。途中で降ってきたけど、自転車立ち漕ぎして光の速さで移動すれば、雨粒の間を縫って避けられるかなって思って」
「どんな物理法則だよ! アニメの見過ぎだろ! バカかお前は!」
ツッコミを入れながらも、俺は急いで洗面所からバスタオルを持ってきた。
「ほら、とりあえずこれで拭け。風邪引くぞ」
「サンキュ! いやー、大和の家が近くて助かったわー」
結衣はバスタオルでわしゃわしゃと髪を拭きながら、遠慮のかけらもなくリビングへと上がり込んできた。制服のブラウスが雨で透けて……いや、見ない見ない。俺は親友のそんな姿にドギマギするような思春期真っ盛りの童貞ではない。
「……おい、服も濡れてるだろ。俺のスウェット貸すから、あっちの部屋で着替えてこい」
「おっ、気が利くねぇ。借りるわ!」
結衣は俺からグレーのスウェット上下を受け取ると、隣の和室に入って着替えを始めた。
数分後。
「着替えたー! なにこれ、ぶっかぶかー」
襖を開けて出てきた結衣の姿を見て、俺は思わず吹き出しそうになった。
俺のサイズのスウェットは結衣には大きすぎて、袖から手が出ていない。裾も引きずりそうになっている。
「大和、見て見て。これぞ世の男子が萌えるという『萌え袖』ってやつじゃない?」
結衣は袖の余った両腕をぶんぶんと振り回しながら、ドヤ顔をしてきた。
「お前がやると、ただサイズ間違えて服に着られてる人にしか見えねえよ。妖怪『袖余らし』かよ」
「ひっど! 少しはドキッとしなさいよ! ほら、普段は見せない私の無防備な姿だよ?」
「するわけねーだろ。お前は俺のブラザーだぞ。ブラザーのスウェット姿見て興奮する奴がいたら、そいつはヤバい奴だ」
「ちぇー、つまんないの。……あ! 大和、新作のゲームやってる! 私にもやらせて!」
結衣は俺のベッドにダイブすると、コントローラーを奪い取った。
「あ、おい! それ俺のセーブデータ!」
「大丈夫大丈夫、ちょっと触るだけだから。うわっ、このボス強っ!」
結局、そこから俺たちは夜通しゲームをやり続けることになった。
交代でプレイしながら、ポテトチップスをかじり、コーラを飲む。外の雨音はいつの間にか止んでいたが、俺たちの部屋の中はボスの討伐で熱狂していた。
「よし、そこだ! 回避して斬れ!」
「わかってるって! うおおおお、くらえ必殺技!!」
深夜三時を回った頃、ついに難関ボスを撃破した。
「「よっしゃああああ!!」」
俺たちは歓声を上げ、自然とハイタッチを交わした。
「見たか私の華麗なプレイ! 私の才能が爆発したね!」
「お前、回復アイテム全部使い切ってたけどな。まあ、よくやったよ」
一仕事終えたような達成感に包まれ、部屋に静寂が戻る。
「ふぁ〜……なんか、急に眠気が……」
結衣は目をこすりながら、俺のベッドにごろんと横になった。
「おい、寝るなら毛布かぶれよ。風邪引くぞ」
「ん〜……大和も、寝なよ……」
結衣の声はだんだんと小さくなり、数分もしないうちに静かな寝息が聞こえ始めた。
「……ったく、自由な奴だな」
俺は床に敷いた座布団の上に座り、壁にもたれかかりながら結衣の方を見た。
部屋の豆電球の薄暗い光に照らされた結衣の顔。
普段のうるさい口は少しだけ開き、長いまつ毛が頬に影を落としている。寝顔は、信じられないくらい穏やかで、静かだった。
……こうして黙って寝ていると、本当にただの美少女なんだよな。
ふと、そんな思いが頭をよぎった。
スウェットの襟元から覗く白い首筋。規則正しく上下する華奢な肩。
いつもは「オッサン」だの「ブラザー」だのと言い合っているのに、今目の前にいるのは、間違いなく一人の女の子だった。
「…………」
ドクン、と。
心臓が、妙に大きな音を立てた気がした。
俺は慌てて自分の頬を両手でパンッと叩いた。
「い、いやいやいや! 何考えてんだ俺は! 相手は結衣だぞ! 親友! 親友だから!」
俺は自分に言い聞かせるように小声でつぶやき、結衣から視線を逸らした。
しかし、その夜はなぜか、なかなか寝付くことができなかった。雨上がりの静かな夜の中で、結衣の寝息だけが、やけに耳に響いていた。
あのお泊まりゲーム会から数日が経った。
俺は結衣に対する変な意識を誤魔化すように、いつも以上にバカなノリで接していた。結衣も普段通りだったため、俺は「あの夜のドキドキは気の迷いだったんだ」と自分を納得させていた。
だがある日の放課後、その「気の迷い」が気の迷いでは済まされない出来事が起きた。
日直の仕事を終えて、俺がいつものように結衣と一緒に帰ろうと教室を出た時のことだ。
廊下の角を曲がろうとした俺は、ふと前方の階段の踊り場に結衣の姿を見つけた。
「お、結衣……」
声をかけようとしたが、結衣の前に見知らぬ男子生徒が立っていることに気づき、俺は慌てて壁の陰に身を隠した。
相手は、隣のクラスの五十嵐。サッカー部のエースで、女子からの人気も高い、絵に描いたような爽やかイケメンだ。
……なんだ? なんであんな奴が結衣と話してんだ?
俺は息を潜め、二人の会話に耳を傾けた。
「星野さん、前から気になってて……もしよかったら、今度の日曜、一緒に映画でも見に行かない?」
……は?
俺の頭の中で、警報が鳴り響いた。
おいおいおい、それってつまり、デートの誘いじゃねえか。告白の一歩手前じゃねえか。
五十嵐の奴、結衣を狙ってたのか? 確かにこいつは黙っていれば可愛いが、中身は野生児だぞ? あんな爽やかイケメンと合うわけがない。
俺が壁の陰で勝手に焦っていると、結衣は少し困ったように眉を下げた。
「えっと、ごめんね五十嵐くん。誘ってくれて嬉しいんだけど、私、今はそういうの考えてなくて……」
「そっか。……もしかして、高坂くんのことが好きだから?」
俺の名前が出て、心臓が跳ね上がった。
「え!?」
結衣は目を丸くして、それから両手をぶんぶんと振った。
「違う違う! 全然違うよ! 大和はただの親友! 私の一番の友達で、相棒みたいなもんだから! 恋愛感情とか、そういうのホントにないから!」
結衣の必死な否定を聞いて、俺はなぜか、胸の奥がチクッと痛むのを感じた。
いつも自分から「親友だ」と言っているのに。いざ結衣の口から「恋愛感情はない」とはっきり言われると、こんなにもモヤモヤするのはなぜだ。
五十嵐は、結衣の言葉を聞いてパッと顔を輝かせた。
「なんだ、そうだったんだ! クラスの噂で付き合ってるって聞いてたから、諦めかけてたよ。じゃあ、俺にもチャンスはあるってことだよね?」
五十嵐が一歩、結衣に近づく。結衣は「えっと……」と後ずさる。
その瞬間、俺の中で何かがプツンと切れた。
理屈じゃない。ただ、結衣が他の男に取られるかもしれないという焦燥感が、俺の体を動かしていた。
「おーい、結衣!」
俺はわざとらしく大きな声を出しながら、踊り場に飛び出した。
「あ、大和!」
結衣がほっとしたような顔を見せる。五十嵐は舌打ちこそしなかったが、明らかに邪魔者が来たという顔をした。
「悪い、五十嵐。こいつ、これから俺と一緒にやらなきゃいけない委員会の仕事があってさ。借りてくわ!」
俺はそう言うなり、結衣の手首をガシッと掴んで、強引に階段を引っ張り下ろした。
「え、ちょっと大和! 引っ張んないでよ!」
五十嵐が背後で何か言っていた気がしたが、俺は無視して結衣を昇降口まで連れ出した。
校舎の裏手まで来て、ようやく俺は結衣の手を離した。
「……痛いなー、もう。急に何なのさ」
結衣は手首をさすりながら、少しむくれた顔で俺を睨んだ。
「委員会なんて今日ないでしょ。せっかく五十嵐くんといい雰囲気だったのに、お邪魔虫なんだから」
「い、いい雰囲気だったかよ! お前、困った顔してただろ!」
「それは……まあ、急に誘われてびっくりしたからだけど。でも、あんなイケメンに誘われるなんて、私の女子力もついに世界にバレたってことだね!」
結衣が冗談めかして笑うが、俺は笑えなかった。
「……お前、あいつとデート行く気だったのか?」
「え?」
「行く気だったのかって聞いてんだよ」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、真剣なトーンになっていた。
結衣は少し驚いたように目を瞬かせ、それからニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。
「……ふーん? もしかして大和、妬いてくれたの?」
「はあ!?」
俺は裏返った声を上げた。
「な、なんで俺がお前に嫉妬しなきゃなんねーんだよ! 自意識過剰か!」
「えー、だって今の顔、完全に『俺の女に手出すな』的な顔だったよ? ウケるー!」
「ウケんな! 俺はただ、親友のお前が変な男に騙されないように、保護者的な立場で助け舟を出してやっただけだ! 感謝しろ!」
「はいはい、保護者様ありがとう存じますー。あーあ、せっかくの春が遠のいたわー」
結衣はケラケラと笑いながら、先に歩き出した。
俺はその背中を見つめながら、自分の胸の内に渦巻く感情の正体から、必死に目を背けようとしていた。
俺は親友だ。結衣の親友だから、あいつが遠くに行ってしまうのが寂しいだけだ。
そう言い聞かせれば言い聞かせるほど、俺の心の中のモヤモヤは、濃く、深く広がっていくのだった。
五十嵐の件があってからというもの、俺の日常は完全におかしくなってしまった。
原因ははっきりしている。俺が結衣のことを、無意識のうちに目で追うようになってしまったからだ。
授業中、斜め後ろから見える結衣の横顔。
ノートを取る時に、邪魔な髪を耳にかける仕草。
休み時間に友達と話して、くしゃっと笑う時の八重歯。
黒板の字を書き写す、少し丸みを帯びた丁寧な文字。
今まで「ガサツな親友」としか見ていなかったはずの結衣の行動一つ一つが、俺の目にはいちいち「女の子」として映るようになっていた。
「……やばい。俺、完全に重症だ」
ある日の昼休み、俺は机に突っ伏して頭を抱えていた。
間違いない。認めたくはなかったが、俺は結衣のことが好きなのだ。
親友としての「好き」ではなく、男としての「好き」だ。
いつからだ? あの雨の日のお泊まりからか? それとも、五十嵐に嫉妬した時からか? いや、もしかしたら、一番最初に「消しゴムはライフライン」と笑い合った時から、俺はこいつに惹かれていたのかもしれない。
「だーっ! どうすんだよこれ!」
俺が一人で悶えていると、頭上から声が降ってきた。
「大和、さっきから何一人でうめいてんの? 腹でも痛いの?」
顔を上げると、結衣が不思議そうな顔をして俺を見下ろしていた。
「お、おう。なんでもねえよ。ちょっと考え事してただけだ」
「ふーん……?」
結衣は俺の顔をじっと覗き込んできた。その距離が近くて、俺は思わずのけぞった。
「な、なんだよ」
「いや、最近大和、なんか変じゃない? 私の顔見て赤くなったり、急に目逸らしたりさ。もしかして、本当に熱でもあるんじゃないの?」
そう言うと、結衣は自分の額を、俺の額にピタッとくっつけてきた。
「――っ!!」
至近距離に結衣の顔がある。シャンプーの甘い香りが鼻をくすぐり、結衣の大きな瞳が俺の目を見つめている。
「ばっ……お前、近っ!!」
俺は慌てて結衣を突き飛ばすようにして距離を取った。心臓が早鐘を打ち、顔から火が出そうだった。
「いてっ! 何すんのさ!」
「お前が急に近づいてくるからだろ! 心臓止まるかと思ったわ!」
「え、なにその反応。キモいんだけど。私が近づいたくらいで照れてんの? もしかして、私の可愛さにようやく気づいた?」
「キモい言うな! 誰も照れてねーよ! お前の顔に青のりがついてたからびっくりしただけだ!」
「えっ!? 嘘!? 今日青のり入りの卵焼き食べたのバレた!?」
結衣は慌てて自分の口元をこすっている。相変わらずボケの反応は完璧だ。
だが、俺はもう、以前のように無邪気にツッコミを入れることができなかった。
「……いや、嘘だ。ついてない」
「もう! ビビらせないでよ!」
結衣は唇を尖らせたが、ふと真面目な顔になり、少しうつむいた。
「……大和こそ、最近私避けたりしてない?」
「え?」
「帰り道もなんか口数少ないし。ゲーム誘っても『今日は忙しい』とか言って断るし。……私、なんか大和の気に障ること、した?」
結衣の声は、いつもの元気なトーンとは違い、少し不安そうに震えていた。
その顔を見た瞬間、俺は激しい自己嫌悪に陥った。
自分の感情を持て余して、結衣を不安にさせていたなんて。
「……違う。お前は悪くない」
「じゃあ、なんで?」
「それは……」
言えない。『お前のことが好きになって、意識しすぎてうまく話せない』なんて。
俺たちは「最高の親友」だ。この関係は、居心地が良くて、楽しくて、かけがえのないものだ。もし俺が気持ちを伝えて、結衣に「気持ち悪い」と拒絶されたら? 今までの楽しい日常は全て壊れてしまう。
親友のままでいれば、ずっと隣にいられる。
でも、親友のままでは、いつか誰かに結衣を取られてしまう。
葛藤が俺の頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「……大和?」
結衣が心配そうに俺の顔を覗き込む。
その瞳を見た時、俺の中で迷いが消えた。
いや、嘘だ。このまま中途半端な態度を取り続ける方が、よっぽど結衣を傷つけるし、今の関係だって壊れてしまう。
俺は男だ。覚悟を決めろ。
「……結衣。今日の放課後、ちょっと時間あるか?」
「え? うん、あるけど。バイトもないし」
「じゃあ、放課後、教室に残っててくれ。話したいことがある」
俺の真剣な声色に、結衣は少しだけ目を見開き、そして小さく頷いた。
「……わかった」
運命の放課後まで、あと数時間。俺の心臓は、すでに破裂しそうなほど脈打っていた。

放課後のチャイムが鳴り終わり、生徒たちが部活や帰路へと散っていく中、俺と結衣は誰もいなくなった教室に二人きりで残っていた。
西日が窓から差し込み、教室全体をオレンジ色に染めている。黒板の前に立つ俺と、自分の席に座る結衣。
いつもなら「さっさと帰ってゲームしようぜ!」と騒ぐ時間だが、今日の教室には、重く、緊張した空気が漂っていた。
「……で、話ってなに? 改まって。お金なら貸さないよ? 今月の私のお小遣い、もう底をついてるから」
結衣がいつも通りの軽口を叩くが、その声にはわずかな強張りがあった。
「ちげーよ。金なんざ借りねえよ」
俺は大きく深呼吸をして、結衣の真正面に歩み寄った。
「……あのさ、結衣」
「うん」
「俺たち、出会った日からずっと、『最高の親友』だって言ってきたよな」
「……うん。大和は、私の最高の相棒だよ」
結衣は俺の目を真っ直ぐに見つめ返してくる。
その言葉が、少しだけ胸に刺さる。これから俺は、その「最高の相棒」という関係を、自分から壊そうとしているのだから。
「俺も、そう思ってた。お前と一緒にいるとバカみたいに楽しいし、気も使わねえし、ずっとこのまま親友でいられたら最高だなって」
「……」
「でも……俺、もう親友やめたい」
その言葉を聞いた瞬間、結衣の表情がサッと青ざめた。
「……え?」
結衣の手が、制服のスカートをぎゅっと握りしめる。
「親友、やめる……? 私、大和に嫌われるようなこと、した……? さっきの昼休みのこと? それとも、最近私が図々しくなりすぎた? ごめん、もし嫌な思いさせてたなら直すから……だから、親友やめるなんて言わないでよ……」
結衣の目から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
しまった。言葉足らずすぎた。俺は慌てて手を振った。
「違う! 違う違う! 嫌いになったわけじゃない! むしろ逆だ!」
「……逆?」
結衣が涙目で俺を見上げる。
俺は、もう一度大きく息を吸い込み、結衣の目から視線を逸らさずに、はっきりと言葉を紡いだ。
「親友じゃなくて……お前の、彼氏になりたいんだよ」
「…………え?」
結衣はポカンと口を開け、時間が止まったかのように固まった。
沈黙が教室を支配する。窓の外から、グラウンドで練習する野球部の声が微かに聞こえてくる。
俺は、顔が沸騰しそうなほど熱くなるのを感じながら、言葉を続けた。
「いつからか、お前のこと、ただの友達じゃなくて、一人の女の子として見るようになってた。お前が他の男と話してるのを見ると無性に腹が立つし、お前の寝顔見てドキドキしたし……俺、お前のことが好きだ。結衣、俺と付き合ってくれ」
言い切った。
全てを出し切った。あとは、結衣の返事を待つだけだ。
結衣は、数秒間そのままの姿勢で固まっていたが、やがて顔を真っ赤にして、両手で自分の顔を覆った。
「……ばか」
「え?」
「大和の……大和のばか。遅いよ……」
結衣は顔を覆った指の隙間から、潤んだ瞳で俺を睨みつけた。
「私なんて……ずっと前から、親友以上のつもりでいたのに……」
「……マジで?」
「マジだよ! 誰が好き好んで、好きでもない男の家に雨の日に押しかけたり、弁当作ってきたりするのさ! 鈍感! この唐変木!」
「い、いや、だってお前、自分で『大和はただの親友』って言ってたじゃねえか!」
「それは、大和が私のこと『ブラザー』扱いするから、合わせてただけだし! 本当は、いつ女として見てくれるのかって、ずっと待ってたんだからね!」
俺は目から鱗が落ちる思いだった。
結衣も、俺と同じように悩んでいたのだ。「親友」という言葉の呪縛に囚われて、本当の気持ちを隠していただけだった。
「……じゃあ、五十嵐の告白断ったのも……」
「当たり前でしょ。私の隣は、最初から大和の指定席なんだから。他の人が座る隙なんて、一ミリもないよ」
結衣は顔を真っ赤にしながら、それでもはっきりとそう言って、照れくさそうに笑った。
俺の中で張り詰めていた緊張の糸が、一気に解けていくのを感じた。
「……なんだよそれ。俺の一人相撲じゃなかったのか」
「そうだよ。両想いだったんだよ、バカ」
俺たちは、オレンジ色に染まった教室の中で、お互いの真っ赤な顔を見つめ合い、やがてどちらからともなく吹き出した。
「あー、緊張して損した! お前、最初からそう言えよ!」
「大和こそ、もっと早く気づきなさいよ! 私の可憐なアピールをスルーしやがって!」
いつもの漫才のようなやり取り。
でも、今はお互いの気持ちがはっきりとわかっている。
俺は結衣の前に手を差し出した。
「じゃあ……改めて。今日から俺たち、親友じゃなくて、恋人な」
結衣は少しだけはにかんで、俺の手をぎゅっと握り返した。
「……うん。よろしくね、私の彼氏殿」

告白の翌日。
俺は、いつも結衣と待ち合わせている通学路のコンビニの前に立っていた。
「おはよう大和!」
背後から明るい声がして振り返ると、結衣が小走りで駆け寄ってきた。
「お、おう。おはよう」
挨拶を交わす。……が、お互いにどこかぎこちない。
無理もない。昨日まで「ヨーッス!」とハイタッチを交わしていた相手が、今日からは「彼女」なのだ。視線が合うだけで、無駄にドキドキしてしまう。
「……なんか、変な感じだね」
結衣が恥ずかしそうに視線をそらしながら言う。
「そうだな。……なぁ、恋人って、登校する時、何するんだ?」
「え? さあ……手とか、繋ぐんじゃない?」
結衣がチラリと俺の右手を盗み見る。
俺はゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る自分の右手を結衣の方へ差し出した。
「……繋ぐか?」
「……うん」
結衣の手が、俺の手に重なる。指と指を絡める、いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
結衣の手は、思ったよりもずっと小さくて、柔らかくて、そして温かかった。
「……お前、手小せえな」
「大和が大きいんでしょ。……あったかい」
俺たちは顔を見合わせ、照れ隠しにふふっと笑い合った。
手を繋いだまま学校に向かって歩いていると、前方に顔なじみの姿が見えた。悪友の健太だ。
「おーい、大和、星野! おはよう!」
健太が手を振ってくる。俺たちは慌てて手を離そうとしたが、健太の目はすでに俺たちの繋がれた手に釘付けになっていた。
「……おい。お前ら、その手」
健太は目を丸くして、俺と結衣を交互に指差した。
「お前ら、ついに付き合ったのか!?」
その大声に、周りを歩いていた生徒たちも一斉にこちらを振り返る。
俺と結衣は一瞬顔を見合わせたが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「まあな! 昨日から、こいつは俺の最高の『彼女』だからな!」
俺が胸を張って宣言すると、結衣も負けじと胸を張った。
「そういうこと! 大和は私の最高の『彼氏』に昇格したのだ! 羨ましいだろ健太!」
健太は「ファッ!?」と奇声を上げ、「やっぱりそうじゃねーか! 俺の言った通りだろ!」と頭を抱えて騒ぎ始めた。
周囲のクラスメイトたちからも、「おめでとー!」「やっとかよ!」「夫婦漫才から本物の夫婦になるのか!」と冷やかしの声が飛んでくる。
「誰が夫婦だ! 気が早えよ!」
俺がツッコミを入れると、結衣がケラケラと笑いながら俺の肩を小突いた。
「ほら大和、みんなが祝福してくれてるよ! 感謝しなきゃ!」
「お前が言うな!……あ、そうだ結衣。付き合った記念に、今日の昼飯のおかず、卵焼き一個よこせよ」
「はあ!? それとこれとは別でしょ! 恋人ならむしろ、私に美味しいものを奢るべきじゃない!? パン買ってこいパン!」
「パシリかよ! 彼氏の扱い雑すぎだろ!」
「愛があるからこそのパシリだよ! ほら、早く行かないと遅刻するよ!」
結衣は再び俺の手をギュッと握り、引っ張るようにして駆け出した。
「おい、引っ張んな! 転ぶだろ!」
文句を言いながらも、俺の足取りは羽が生えたように軽かった。
結局のところ、俺たちのノリは昨日までと何も変わっていない。
相変わらず漫才のような会話を繰り返し、くだらないことで笑い合う。
でも、確かな違いが一つだけある。
繋がれた手から伝わる体温と、ふとした瞬間に見せる甘い笑顔。
俺たちはもう、ただの親友じゃない。
最高に気が合う「親友」であり、そして、世界で一番お互いを想い合う「恋人」なのだ。
これからも俺たちの騒がしくて楽しい日常は続いていく。
この、愛すべき相棒兼彼女と共に。
【完】